仲入り後のトリは三遊亭金八師。
落語家も、東京だけで500人います。銭湯の数より多いんですだって。
銭湯はどんどん少なくなっていくけども、噺家は減る気配がないと。
今、落語協会は30歳を超えたら入門不可としている。それはそうしないと、本当に来るから。
「区役所を辞めました。これを機会に念願の落語家に」なんて人が楽屋にいても、気を遣ってしまう。
それに前座さんは、若々しい人のほうがいいでしょと。
最高齢の噺家として、大正15年生まれの桂米丸師のことを振る。さらに年上の、内海桂子先生のことも。
当然、昭和4年生まれの自分の師匠のことも振ると思ったら、これはスルー。そんなものか。
その道の目利きから茶道具の話を振って、「茶金」だ。やや珍しめの噺。
この噺を前回聴いたのは、なんと春風亭百栄師からだ。なんと、ってこたないが。
「はてな」が随所に繰り返し入って楽しい一席。
人情噺の要素もあり、ひとつの道に対するプロのこだわりがあり、ものの価値に対する皮肉な視線もあり、そして江戸っ子のバカっぷりも楽しく描かれる、盛りだくさんの楽しい噺だ。
年齢と芸歴の割には若々しい金八師であるが、茶金さんはなかなか貫禄があっていい。
ものに動じない鷹揚さを描くことで、自然と貫禄が出るらしい。
そして金八師、どんなシーンでも常に目だけが笑っている。これがいい。噺にマジで迫り過ぎないのが落語らしい。
この噺には講釈のような世界もうかがえるが、しっかりと落語らしい世界が描かれる。
例の漏る茶碗、千両で売れたでと、八っつぁんを迎え入れて語る茶金さん。
この際に、単純な八っつぁんが、茶金さんに嘘をつかれたのだと思って食って掛かる演出が、普通にある。
一瞬ドラマティックかもしれないが、私は好きじゃない。金八さんはそのような演出を採らない。
そりゃそうだ。八っつぁんは茶金さんの懐の大きさにすっかり敬服しているのだ。いくら単純な江戸っ子でも、話を聞く前から食って掛かるなんてね。
この八っつぁんは、ますます恐れ入って茶金さんの話を聞く。このほうが、むしろ単純な八っつぁんだと思う。
最後のサゲのシーンが、お祭り好きの金八師らしく、エキサイト気味で楽しい。
サゲた後、そのまま座ってちょっと解説を入れる。
「新聞記事」と「悋気の独楽」についても若干。
米朝がほぼ仕立て直した「はてなの茶碗」、東京では「茶金」というが、この噺はきっとすたれるだろうと。
上方言葉が頻出するから。今日も、私の京ことばに首をかしげ気味の人がいた。高座からだとよくわかる。
でも、やはり噺の雰囲気というものがある。京ことばで「漏るねん」というのが、どうしてもやりたいんだと。
そうなのだ。噺家さん、落語のフレーズに惹かれて覚えることが多いそうで。
ちなみに、東京で活躍している上方落語家のことばを聴いて、やや疑問に思うことがある私だが(噺の評価とは別です)、金八師の京ことば、違和感なかったけどね。
2時間弱の非常に楽しい、そして無料で嬉しい会でした。
実力派真打の出る、小規模で無料の地域寄席というのは、私の引出しには今までなかったものだ。
これをご縁に、また荒川区のどこかに出没したい。でも、メンバーがわからないとなあ。
東京かわら版に、演者未定で掲載されている26日の会のチラシが入っていたが、そちらにもやはり演者の名前はないのであった。
ありがたいけど、運営はちゃんとしてちょうだいな。
帰りは、やや遠いが西日暮里駅まで歩いた。