荏原中延・チャリティー寄席 その5(三遊亭兼好「親子酒」下)

兼好師の親子酒は初めて聴く。
旦那が酒を飲ませろと謎を掛けるが、おかみさんは次々と、絶妙の不正解を答えていく。この外しっぷりがまずポイント。
ついに「酒だ」露骨に言って一杯だけもらう。来年は桜も見られなくなったしいいだろうとタイムリーなネタも放り込む。
その一杯を、まるで「試し酒」のようにクサく飲み干す兼好師。
萬橘師の拍手要請でもって、中手を覚えた客がすかさず手を叩くと、私は萬橘と違って催促しませんからと。
客が高座を注目し、静まり返った客席で、酒を飲み干す兼好師から、不思議な音が聞こえる。
チュッ、チュッという不思議な音が。どうやって立ててるのか。

さて、親子酒は工夫の余地はあるにしても、基本大変シンプルな噺である。
「こんなぐるぐる回る家、もらったってしょうがねえ」という有名なサゲに向かって、まっすぐ突き進んでいくという。
兼好師も、たとえばサゲを変えたりしてはいない。
では、演出をどうするか。
兄弟子の好太郎師が、「徐々に酔っぱらっていく旦那」という、禁酒番屋みたいな演出にしていたのは珍しいものだったが、それとも違う。

兼好師にとって親子酒は、アルコールの力を借りて、親父が別の楽しい生き物への変身を魅せる噺のようだ。
酒がどうかじゃなくて、ひとつ楽しい生き物の生態を描いてみたかったのではないかと思う。
「こんな酔っ払い、どこにもいるよね」ではないのだ。そこを一段突き抜けた、ユニークな生き物を生み出し、しかし古典落語の中できっちりねじ伏せてみせる兼好師。
そうなると、細かい部分の方法論は変わってくる。
この酔っ払い親父、息子が帰ってきてもまったく慌てない(!)。
かなり驚いたのだが、なるほどだ。もう酔っぱらい過ぎて肝が据わっており、まるで動じなくなってしまっているのだ。
このほうが、むしろ酔っ払いっぽい。リアルな酔っ払い造型を放棄したところに、落語ならではのリアリティが生まれている。
そして帰ってきた息子、倒れこんだりするのではなく、両手を上げてべろんべろんの様子を親父に見せる。

ひとつオヤ、と思ったのは息子の、酔っぱらう経緯の説明に出てきた得意先。
落語の一般的ルールとしては、子供や酔っ払い、与太郎が描写する第三者であっても、セリフを普通に喋るものだと思う。つまり、直接噺に出てくる登場人物のように喋るのが普通。
だけど兼好師の場合、ぐでんぐでんの酔っ払いが説明するので、話の中の第三者も酔っぱらっている。
こんなのはあまり見ない。
兼好師がやるのだから意味があるのだろうが、正直この部分だけはよくわからなかったけど。
それはともかく、実に楽しい噺。

長講二席とコントでもって、実に楽しい会でした。
来年もメンバー次第ではあるが、チャリティーの要素を上手くかわせば、千円で十分楽しめそうに思う。

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作成者: でっち定吉

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