神田連雀亭ワンコイン寄席27(上・立川吉笑「片棒・改」)

今月は、4回落語を聴きにいって、合計料金は3千円。なかなか優秀。
寄席(定席)に戻るという決意はどこへやら。
結局、両協会とも披露目を観なかった。

そんな流れで、さっそく今日も、仕事の合間に500円の安い席。
冷たい雨の中、神田連雀亭ワンコイン寄席へ。
天気は悪いが、20人近く入っていてなかなか盛況である。
この日は、柳家小はぜ、立川吉笑のふたりが目当て。

開口一番、二ツ目になって間もない人の高座は、まったく見るべきものがなかった。
現状、落語に関しては前座同様である。
落語に対して間違った方法論を持って挑み、自爆する人がたまにいる。別にそういう高座ではなかった。
だが、語る古典落語について、まず演者が楽しんでいないと、客に伝わるものがなにもないという例。
まったく響かないので寝ることにしたが、ときどき大声を張り上げるので寝づらい(文句言うな)。
意図的に寝るのは失礼か? 本当は、落語から離れて本でも読みたいところだが、我慢しているのである。
パラパラとお義理の拍手で退場。

二番手の吉笑さんで仕切り直し。
落語ディーパーの人気者のこの人は、6月の梶原いろは亭以来だ。
ウグイス色の着物に山吹色の袴という、いつもの衣装。
座布団と袴の色がおんなじだなと思ったら、ご本人から、うっかりおんなじ色を付けてしまいました、すみませんだって。
柳家喬太郎師が、よくこういう挨拶でツカミ取ってますね。

前日、11月21日は談志の命日で、よみうりホールでは毎年一門会をやっている。
だが、顔付けされていた師匠・談笑が、体調不良で欠席する。その連絡をもらった吉笑さん、おおいに心配する。
談志の命日だけに、師匠も命に関わるようなことがあればどうしよう。実際はそこまでの体調不良じゃないのだけど。
だが、98%までは心配でならない吉笑さん、残りの2%で別のことを考える。
これで俺が談笑かなと。
「談笑」とサインの練習してみたりなんかする吉笑さん。

というブラックユーモアから、片棒へ。普通の片棒ではない。
師匠・談笑の作った片棒である。談笑師のもの、聴いたことはないのだが、速記本で読んだ。
いきなり三兄弟が勢揃いして、親父と話をするというスタイルで、純然たる古典落語でないことは明らか。

いきなり、長男・金がおかまである。
吉笑さんのブログによると、すでに冒頭から、自作の落語には決してないシチュエーションだそうな。
今年、この師匠が作った噺ばかりやっているんだそうだ。

片棒という古典落語、普通にやっても実に楽しい演目。
というか、「普通」にはむしろやりづらい演目でもあるだろう。スタンダードな型で演じようとしても、次男・銀の祭りで盛り上がらないと、意味がない。
換骨奪胎の片棒ではあるが、改作しようとする発想自体は、古典落語専門の人でも避けて通れないものだろう。

ギャグを完全に作り替えた改作片棒も、古典の人と目的には大差ないかもしれない。
だが、演出の方法論はまるで違うのであった。
噺を、強烈な、猛烈なスピードで喋りまくる吉笑さん。
これはよほど稽古しないとできないね。
ハイスピードで口がよく回るものだと思うが、そこに次々ギャグがおっかぶさっていく。
そのギャグはいちいちすべてが面白いのだが、捕まえきれずに通り過ぎてしまっても別に構わない。

そして、客席参加型。客に声を合わせさせる。
3人目の鉄のパートは出てこなかったが、これは時間の関係だろう。鉄はちなみに、腹違いの兄弟。
通常の片棒と違うのは、金のパートから酒池肉林の限りで大盛り上がり。2人目の銀のパートでは、さらにおっかぶせてくる。
すごいものを見せられて興奮しているのだが、噺の中身は驚くほど覚えていない。
一体、声を合わせてなにを言わされたのかも忘れちゃった。「あかにし屋!」だったっけ?
でも、別にいいや。細かいところを覚えておいて、小出しに楽しむような噺じゃないのだ。
客席でひっきりなしにメモを取り、クスグリまでメモるようなファンは、この噺ではメモがとても追っつかないだろう。ざまみろ。

談笑師の落語は、どこか落語に対して、あえて不快感をぶっつける方法論でやっている気がする。
この点、弟子の吉笑さんは、どこまで行っても気持ちいい世界を追求しているように思う。吉笑さんのほうが私には心地いい。

万雷の拍手で退場。

続きます。

 

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作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 「意図的に寝るのは失礼か?」
    その行為自体は失礼だとは思いません。しかし、それを高尚な行為であるかのように吹聴するのは極めて下品です。貴殿の文章に濃厚に香る他者への蔑視と屈折した選民感は読者を不快にします。

    1. 当ブログで、悪口を書かれたのは3度目ですが、過去2回はゴミみたいなコメントでした。
      悪口の中ではもっとも論理的なので、敬意を払って載せることにします。
      (コメント欄はデフォルトで承認制となっております)
      最近の私は確かにいささか偉そうかもしれません。
      偉そうな噺家は嫌いです。私もそうなりたくはありませんので気を付けます。
      ただ(もし当ブログずっと読んでてくださるならばですが)、ご批判のコメント付けるのは、この箇所じゃないだろうという気もしますが・・・
      マクラが終わって15分、知っている噺のストーリーをひたすら追いかけ続けなければならない辛さに共感していただきたいところです。

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