神田連雀亭ワンコイン寄席27(下・柳家小はぜ「浮世根問」)

二番手の吉笑さん、トリの前でやるにはちょっと弾み過ぎている感もある一席。
もちろん、トップバッターがコケたので、取り返す義務があった。
だが、トリの小はぜさんなら大丈夫だろうという信頼もそこにあるのだと思う。
わずか3席であっても、そこにはちゃんと構成があるのだ。
こういう、寄席全体への気遣いというものは、ファンもちゃんと着目して見るうちに、だんだんとわかってくるものだ。

場内が熱気に包まれ、興奮さめやらぬ中で、トリの柳家小はぜさん登場。
落語協会所属なのであちこちでお見かけしそうなのに、私はなぜか、ここ連雀亭だけで聴いている。
連雀亭ではトリも取っているはずだが、私は初めて遭遇する。
前座噺を極めて心地よく語るイメージの人で、トリでどんな噺をするのだろう。
と思ったら、トリでも前座噺。「浮世根問」であった。ちなみにローソク立てまでのフルバージョン。
すごい度胸。そう思う。
柳家の噺だと思うが、現在では絶滅しかかっている。今年は群馬の太田まで扇辰師を聴きに行った際に、開口一番の柳家圭花さんで聴いたが。
極めて軽いが、とても楽しい噺である。柳家のみなさんに頑張ってもらって、ぜひ後世に残してもらいたい。

普通に考えると、吉笑さんが客席を沸かせた後で、すごくやりにくいシチュエーションだと思う。
だが、そこがベテランの味。
本当はベテランでも何でもない。キャリア8年の若手なのだけど、こんな場合の方法論が、小はぜさんはすでにベテランである。
落ち着いて堂々と、自分の話を自分のスタイルでするだけで、客席の空気を見事に変えてしまうのである。
どうしてこんなに落ち着いているのだろう。
年齢はそこそこ行っている人ではある。だが落語界、年齢が高ければ落ち着いているかというと、そんなことは全然ない気がする。

空気を変える見事さに感心するがゆえに、マクラでなに話していたか忘れた。
「おあとお楽しみに、と申し上げたいのですが私が最後です」だけ覚えている。
でも、いいのだ。
こういうスタイルの人は、実は内容あることをなにも語っていない場合もしばしばあるし。

ご隠居を八っつぁんが訪ねてくる。昼どきにやってきて、じゃあいただきますと勝手なことを言っている。こないだのシャケはちょっと甘かったねと。
隠居に読書の中身を訊いたりするので、「道灌」「一目上がり」「雑俳」などでないことはわかる。
他にも似たシチュエーションまで含めると、「子ほめ」「つる」「新聞記事」「十徳」など似た噺はたくさんある。
だが浮世根問は他の噺と前置きが違う。そういう意味でも、失くなって欲しくない。

地味な噺だが、すっかり小はぜさんの術中にハマる客。
会話だけでできている噺なのに、やたら楽しくて仕方がない。細かい部分はまるで覚えていないのに。
先ほどまで、スラップスティックな噺で大ウケしていた落語脳の、まったく違う部分が稼働しだす。
違う感性が発動するので、落語脳が立体的になってとても楽しい。

この日の2席は、落語という大変広い領域において、まったく別個の地位を占めるもの。
対極のスタイルであり、それぞれが極上のもの。
対極のスタイルにおいて、地味な噺がワリを食うかと思うと、そうでもない。
開口一番の落語のダメージなど、どこかへ飛んで行ってしまった。
大変楽しい、幸せな日でした。

(上)に戻る

 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。