六代目笑福亭松鶴「狸茶屋」(下)

上方落語、やってる噺家は下品だ下品だと変な自慢をよくするのだが、その実、桂米朝は大変品に溢れた、上質な世界を作り上げてしまった。
米朝が蘇らせた上方落語、いったいどこが下品なんだとよく思う。しょっちゅう「家見舞」の掛かる東京のほうが下品かもよ。
だが、落語ジャイアント米朝の陰で、本当に下品な世界も、上方のどこかにしっかり残っている。いろいろあるのがいいのでしょう。
こんなスタイルだからか、米朝と松鶴とは仲がよくはなかった。
だが、米朝は晩年、誰か六代目の悪口を言う人がいたら、わしは反論するでと言っていたらしい。
ちゃんと認め合っているのだ。ちょっといい話。

マクラが下品だから、本編も下品である。でかいきんたまの噺だもの。
といっても、下品の中にちゃんと品がある。
本編に出てくる女たち、実に品がいいのである。乱暴なイメージの松鶴だが、女の造型がすばらしい。
それが落語というものなのかもしれない。

ここから狸茶屋の本編。といっても、実に短い。ほんの6分程度。
久々に茶屋に来た男。上方落語によく出る、商家の旦那が遊ぶような茶屋のことではない。女を買う店。
ここでは茶屋のおかみ(客からは「姉貴」と呼ばれている)が女を選んで客にあてがう。
お見立てはなく「不見転(みずてん)」である。おかみはしっかりしていないとならない。
客が茶屋のおかみに、姉貴、また今日も新しい子を頼むわと言っている。
こんなのは普通、江戸でも大阪でも掟破りとされるもの。恋愛ごっこを楽しむ廓では、なじみの女が付くのが普通だ。
なぜ毎回違う女を頼むか。それは、男が脱腸だから。「ダッチョ」と発音するのが大阪っぽい。
恥ずかしがりながら脱腸をおかみに白状する男。

脱腸とは、ヘルニア。きんたまに腸が下りてきてしまい、膨れ上がる病気。毎回、それを笑われるから嫌なのだと。
なら仕方ないと、今日も新しい子を世話してもらう。

女を待つ間、起きているのは格好が悪い。なのでいびきをかいて寝たふりをする。
やってきて、起こそうとする女が男に語り掛ける。「知ってまっせ。たぬきでっしゃろ」。
客がびっくりして、「わしの大きいの誰に聴いてん」。

と、それだけ。実になんてことのない噺である。
だが、世の中ついでに生きてる人たちの、しみじみと楽しい噺。
たぬき寝入りする客に、廊下から声を掛け、入っていく女の姿も目に浮かぶ。こんなところ、行ったことはないけど。
実に楽しいのだが、滅びる宿命にある噺なのかもしれない。
廓噺の多い東京で、誰かやってくださいませんか。ちょっと生々しくなりそうなので難しいのだが、五街道雲助師とか。

ちなみに、子供の泣き叫ぶ声がときどき音源に混ざっている。演者にも客にも、放送局にも気の毒なことである。
サゲを迎えるクライマックスでこうだもの。どうやら親がホールの外に連れ出したようだが。
まあ、聴きたくもない落語に連れてこられ、廓噺を聴かされる幼児も気の毒ではある。
この幼児も、すでにいい年になっているわけだ。
落語聴いてるかもしれないね。

私はラジオで聴いたが、音源はWeb上に出回っている。ぜひ一度お聞きください。

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作成者: でっち定吉

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