小ゑんハンダ付けwith馬石 その4(隅田川馬石「二番煎じ」)

ネタ出しの一席、馬石師の「二番煎じ」。
今年初めてなんですと馬石師。やはりネタ出ししていると、よそでやっちゃ、楽しみにしているお客に悪いと思うのだそうで。
私も非常に好きな噺。「食欲増進人情噺」だと認識していている。
いったいどこが人情噺なのか? 3年前に書いたこの噺に関する記事

馬石師の二番煎じ、細かいところにずいぶん工夫があって驚く。
なにも噺の展開を劇的に変えようという、そんな工夫ではないのだ。本当に細かい工夫。
つい先日、別の人の工夫に満ちた噺、しかしながら工夫の意味がよくわからない一席を聴いて、戸惑ったばかり。
しかし、馬石師の地味な工夫は、その理由のすべて、必要性がよくわかるのである。
こんなの。

  • 「一の組」「二の組」の組み分けはない。宗助さんを小屋に置いて、旦那衆と半ちゃんが全員で夜回りする
  • 月番は、謡の先生の持ってきた酒について、たしなめてはいるが怒らない
  • 旦那のひとり「浪花屋」さんは、上方ことばを喋るケチ
  • 見回りの役人は、煎じ薬(実は酒)を飲んで、大げさにびっくりしたりしない
  • 鍋の上に座って隠したりしない

まさに私が求めていた世界がそこにあり、とても嬉しくなってしまった。
まさにこうあって欲しい二番煎じを掛けて客を満足させてくれる馬石師。
プロの噺家と、客が落語に求めるものが一致するなんて、とても幸せなことではないでしょうか。
最近馬石師を好んで聴いている、その理由がことごとく腑に落ちる。
しかし、これは決して奇跡の出会いというわけではない。
落語界に脈々と流れる、噺のエッセンスを、落語の進化に合わせて取捨選択するのが馬石落語。
ファンの感性に常に合わせてきてくれるからこそ。

組分けがないのは、しし鍋を食べられない人、描写されない人が出ないようにしたのだろう。
馬石師の場合、謡の先生は「黒川先生」ではなく「高田先生」なのだが、この先生がふくべに持ってきた酒について、月番は怒らない。
そうだ。そもそもなぜ怒る必要があるのだ。
噺に緊張感を与える意味はわかるが、平和な世界を描くためには、妨げとなる描写だ。
要は、月番が本音の世界から建前の世界に移行することを、ごく端的に描けばいいのであって。

歯切れのいい江戸言葉を操る馬石師だが(もっとも「いかにも」な、ある種いやらしさの感じられる言葉使いでもない)、兵庫県出身である。
上方ことばも、金明竹以外の噺でも、使ってみたいようである。
そこで、「浪花屋」さんが登場する。
この人はケチである。他の旦那衆や半ちゃんがいろいろ持ち寄っているのに、この人だけなにも持ってこない。
なにも持ってこなかったので表面的には恐縮しながら、しかし猪肉を食いまくる。
とても人間味溢れる楽しい人物。

ちなみに私のまったくの想像だが、馬石師の上方ことばが上手いのは、西の出身だから当たり前というわけではないと見ている。
江戸弁を完全にマスターしているのと同じ、後天的な学習による要素も大きいのではないだろうか。
落語の中の上方ことばがあまり上手じゃない上方落語家って、結構見かけるもの。
逆に、東の出身なのにやたら上方ことばの上手い人もいる。小せん、百栄といった人たち。

そして、多くの人が笑いのハイライトにする、「鍋の上に座り、役人の目から隠す」というギャグはカット。
熱いのを我慢して丁寧に運び、隠す馬石師。
そうなんである。このシーンがあると、「威張っている役人に復讐する」という、およそ旦那衆にはふさわしくない要素が入ってきてしまう。
ふんどしからつゆを絞るなんてクスグリ、私は嫌い。汚いからでなくて、この噺において、役人を貶める必要性なんて少しもないのだから。
客の気持ちを削ぐ余計な場面のない二番煎じに、私は快哉を覚えたのである。
ないと笑いが少ないか。まったくそんなことはないのであった。この人たちの世界に混じりたくて仕方ない。
目先のギャグよりも、世界の描き方のほうをずっと大事にする馬石師。役人の武張った描写と本音の部分も的確に描く。

宗助さん、たびたび名前が出るので役人に名前を覚えられる、というのは市馬師もやっていた。
馬石師の落語にも、この緩い感じがぴったり。

そしてもちろん、食欲をそそる噺であった。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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