今回もとても楽しい「小ゑんハンダ付け」。トリはネタ出し「願い事や」。
昔からやってる噺らしいのだが、小ゑん師によると、それほどは掛けていないらしい。
CDにすると、たぶんそれ以降やらなくなると思う。だからまだCD化していないらしい。
CDは自分で編集してしまいますと、エンジニア志望だった小ゑん師。
昔だったらオープンリールのテープを、磁器のハサミでちょん切って大変だったが、今はパソコンでなんでもできる時代。
トチったところをカットして、笑い声を被せるなんて簡単だ。いえ、笑い声は被せませんけどね。
この日の高座がCD化されるのであろうか。
「願い事や」はオタク落語ではなくて、小ゑん落語のもうひとつの要素、メルヘンを前面に押し出したファンタジイ。
「長い夜」とか「銀河の恋の物語」と同じ系統。小ゑん師のツイッターによると、これらの噺も「願い事や」も、ひと頃盛んだったプラネタリムの落語会のために作ったのだそうな。
そういえばオープニングトークの際に、「プラネタリウムの落語会はリクライニングで寝やすいですよ」だって。
師の代表作、「ぐつぐつ」もメルヘンな噺。たまりませんな。
私は師のオタク落語も大好きだが、メルヘン系統のほうが、さらに好きかも知れない。
ちなみに、「願い事屋」でなくて「願い事や」なのがいい。
小ゑん師が話していたわけではないが、先代文治は、店舗を持っていない商売人の噺には、ひらがなの「や」を使ったのだという。
例「豆や」。
会の冒頭のトークとも関係するが、プラネタリウムあるある。
「(いて座の)ケンタウロスというのは、上半身人間で下半身が馬です。生物学的には一体どうなるのでしょう。調べてみたら、6本足で空を飛ぶので、分類すると昆虫なんですね」。
これは小ゑん師が作ったネタだが、すでにプラネタリウムでは鉄板らしい。
さらに今はなき、渋谷の東急文化会館にあったプラネタリウムで、鉄板だった解説のネタ。
「メドゥーサの首を見ると、人は石になってしまいます。怖いですね。でも安心してください。皆さん、お子さんたちは、このメドゥーサの首を見ても、石になったりしないんですよ。なぜかというと、ジャリになるんですね」。
私も小学生の頃、この五島プラネタリウムが大好きで、毎月のように通っていた時期があった。
このギャグは聴いた覚えないけど、とても懐かしく、嬉しくなってしまった。
天文マニアの小ゑん師だからといって、その部分でのつながりを日頃から感じているわけではない。だが、意識しない接点が出てきて感激。
チラシに、星が飛びますと書かれていたが、本当に飛んだ。
どうするのかと思っていたら、小ゑん師匠が袂から出したペンライト。妙に盛り上がる。
初めて聴く噺なのだが、受け取る私とあまりにも波長が合い、クスグリからなにからそっくり、私の頭の中に叩き込まれた。
なのであまりにも楽しかったのにもかかわらず、もう一度聴きたいとは、5年ぐらいは恐らく思わないだろう。
当分の間、いつまでも反芻して楽しめそうだ。
舞台は屋台のおでん屋。場所は群馬、下仁田である。
単身赴任の客は、遊ぶところも飲むところもない下仁田に辟易している。コンビニすら車でずっと行った先。
おでん屋の親父からは、独身貴族でいいじゃないかと慰められるが、男のほうはもう限界だ。
そこに流しの「願い事や」が現れる。地味な願い事をかなえてくれるんだそうだ。
「上中並」3コース。5万円、5千円、500円である。
おでん屋の切らしてしまった卵を、並コースで出してもらって喜ぶ客。
流れ星が流れる間に願い事をするとかなうのだ。
同じく並の500円コースで、塩辛声のホステスや、お爺さんの客のリクエストで「饅頭こわい」を語る落語家を出してもらったりする。
落語家は、並のコースなので、ダイジェスト版の饅頭こわいを手短に語って去っていく。
「あり得ない設定に登場人物が戸惑う」という新作落語もよく聴くところだが、このようなメルヘンタッチの落語だと、最初から登場人物は世界に馴染んでしまっているほうがいいらしい。
異様な設定なのに、あまり戸惑わない登場人物たち。まあ、おでん屋の親父はともかく、客は酔っぱらってるからかもしれない。
願い事やは、冬のアルバイト。実は七夕の牽牛である。
最後は天馬ペガサスまで出てきて、さらにファンタジイ満載のシーンに進んでいく。
それまでの世界と断絶はないので、屋台が空を飛んでも、聴いている客も戸惑ったりはしない。
とても幸せな、ホロっと来る、落語の世界がぎっしり詰まった噺であった。
前回に続き、大満足の小ゑんハンダ付けでありました。
本所でやってる、彦いち師との二人会「どんぶらっこ ゑ彦印」にも行きたいのだけど、平日夜だから現状ではやや辛い。