遊雀師のような、テキストから解放された落語をする人は、他に知らない。
唯一、もっとも近い存在だと思うのが、落語協会の柳亭左龍師。
左龍師も比較的、ストーリー展開と違う部分に面白さを求めている。だが、古今東西の落語のテキストをねじふせたりはしていない。
遊雀師は登場から愉快だ。「待ってました」の掛け声に対して、「紹介します。私の叔父でございます」。
声を掛けるほうも、この展開までワンセットで狙ってるんじゃないかという気がする。
そして、地下鉄駅で拾った千円をマネーロンダリングするマクラ。
途中でくしゃみをする客に「くしゃみしてる場合じゃないよ」。客席の事象を取り込むのはこの人の必殺技で、自分の語りに没入して欲しい噺家には不可能なテク。
今新宿に出てますが、と。寄席がはねても、まっすぐ帰ることはないですよ、皆さんも一杯やって余韻に浸りませんかと遊雀師。
そして酒のマクラへ。「酔っ払い親子」。
先日も、もはや寿命が切れているこのマクラについて論じた。個人的には今さらどうなんだろうと思っている。
だけど、遊雀師が語ると大爆笑なんですよね、これが。
手垢の付いたマクラを楽しく語れる腕は、本編におけるテキストからの解放と一体のものだ。
そして、寄席の主任を取っている遊雀師本人ができあがって家に帰ると、怖いおかみさんが待っている。
早くお寝なさいというかみさんに、そういう言い方だからよくないと反撃する遊雀師。
あれ? マクラの続きがいつの間にか「替り目」に入っている。こんな導入、初めて目にした。
おかみさんは、多くの替り目とは違い、熊の皮に出てきそうな怖い人。そして、女なのに亭主より低い声を出すというのがまさに遊雀マジック。
「声でもって男女を描き分けない」のが落語の基本。だが、その手法のさらに先を行く遊雀師。
客席から携帯が鳴る。酔っ払い亭主の遊雀師、すかさず「電話だよ。早く出な」。まだ鳴ってる電話に「家が火事だったらどうすんだ」。
客の携帯にどう突っ込むかという、昔は必要なかったスキルが現代の噺家には求められている。哀しい必要性を持ったスキルであるが、それはさておき古今東西の噺家の中で、一番上手いのが遊雀師じゃなかろうか。
客席で鳴る携帯が許せないことは変わらないけど、今日は遊雀師のツッコミが聴けて私も嬉しかったもの。
もう一回くしゃみがあって、すかさず噺に取り込む。
「仕事でお疲れでしょうが」とかみさんに言わせようとして、「仕事?」と突っ込まれている間はまだかろうじて遊雀師本人。だが、火を落としていてお燗ができないというあたりから、明治の落語に変わっている。
おかみさんがおでんを買いにいくまでのやりとりはごく短い。「じ」と「ぶ」みたいなクスグリは入ってない。
酔っ払い亭主がまだ出かけていなかったかみさんに元帳を見られてしまってから、そのまま後半部分に進む。
亭主の感謝もまたコメディで面白い。これ自体が面白いっていう替り目は他に知らない。
すごいね。
私も、「替り目」の後半部分は大好きだ。もっと掛かって欲しいなといつも思っている。
だが前半、車夫どころかおでんのやり取りもばっさりカットして、後半を重視するやり方があるなんて、びっくり。
とはいえ、そんな後半も、別に長くはない。
うどん屋とのやり取りもまた非常に短い。燗を付けてもらっておきながら「うどんは嫌い」という程度。
うどん屋がイライラしているくだりなどない。
かみさんが帰ってきて、悪いと思ってうどん屋に声を掛けたらもうサゲ。
もうちょっと聴いていたいなと思う一方で、とても満足したのでした。そしていつまでも余韻を残す。
この世代の噺家は大変層が厚いが、その中においても、遊雀師の天才振りは今や圧巻だと思う。
芸協をないがしろにする気はないし、したくもないが、私もどうしても寄席が落語協会中心になってしまう。遊雀師が鶴見で聴けて本当によかった。
こんにちは。遊雀師の替り目ですが以前浅草お茶の間寄席でやっていたのを思い出しました。その時も20分弱の尺で銚子の替り目までやっていました。後半までのフルバージョンを高座にかけているのは、遊雀師の他は、雲助師、白酒師くらいでしょうか。もっと他におられるのかもわかりませんが、私の聴いている噺家さんが片寄っているのでしょう。
>ばたばた様
引っ越した当ブログへ、初のコメントありがとうございます。
浅草お茶の間寄席での「替り目」、私も視たような記憶があります。コレクションを探してみようと思います。
もっとも今回のような、噺家本人がスライドして亭主になってしまうような中身ではなかったですね。
通しの替り目は、三遊亭竜楽師で昨年聴きました。軽い遊雀師のものとは雰囲気がずいぶん違いますが、これもまた絶品でした。