2019M-1グランプリ(下)

最終決戦に当たり、まずミルクボーイの優勝はないだろうと思った。
優勝するための、違うパターンを用意していないだろうことがすでにわかったから。
優勝するなら、かまいたち、またはぺこぱだろうと。
ぺこぱはちっとも面白いと思わなかったのだが、謎の爆発力を秘めていそうな予感だけは濃厚。

最終決戦の一発目はぺこぱから。
予選の最後に出て、いきなり次をやるとは大変。
ところが。これ一発で彼らの優勝を確信した。優勝しなかったけど。
自分でも驚いてならないが、低評価した1本目で慣れて、すでに彼らが好きになってしまっている。
嫌いなレベルから一気に、「このネタでぜひ優勝して欲しい」にまで上昇してしまった。
しかし、彼らだって2本とも同じパターンなのだ。その点、ミルクボーイと変わらない。
基本同じでも、客の耳が慣れることで爆笑につながるのである。
ほぼ、志らくの1本目と同じ感想になってしまったのは癪だけど。しかも、私は2本目で気づいたのだから遅れている。

かまいたちの2本目も知っているネタ(トトロ観たことがない)だが、こちらのほうがずっと好き。
理屈をこねくり回すと面白くなるのである。
ただ、客いじりはなあ。コンテストでもって客を使うのは卑怯だと思う。
今回のM-1を機に、今まで悪い感想を一切持っていなかった彼らのこと、ちょっと嫌いになってしまった。

ミルクボーイは、同じ方法論どころか、1本目と完全に同じパターン。
すごい度胸。
冒頭に、お母さんがわからへんのがあるんでしょと軽く突っ込んでおいて、客の「あれ?」という疑問を解消してしまう。
そして、コーンフレークに続くモナカのネタがやたら面白かった。
「モナカやないかい」と食い気味に突っ込むのがいい。セリフはわかっているのだから、早ければ早いほど面白い。
コーンフレークに続いて、モナカもdisりまくる。
面白いことに、2本目になって彼らがより好きになり、その世界も好きになって、より笑えるようになっていた。
3本見終わって、かまいたちはちょっと違うなと思った。
ミルクボーイでもいいが、やはりぺこぱかなと。

結果は、ミルクボーイの圧勝。
彼らの優勝、ちっとも嫌ではないが、ぺこぱに1人も入れなかったのがちょっと腑に落ちない。
どちらもプロウケするタイプなのだろうが、よりプロが好むのがミルクボーイなんだろうな。
ただ、すべてのボケを受け入れるぺこぱに、新時代の漫才を感じた向きが多かったようで、ツイッターはなかなか賑わっている。
越前屋俵太(懐かしい人だ)が彼らを褒めていた。
和牛を落としての最終決戦進出だから、お笑いファンに恨まれそうなポジション。結果そうなっていないのは、彼ら自身に魅力を感じた人が多かったということ。
ぺこぱのボケ担当は、最後インタビューを振られて真面目に答えていた。かえっておかしかったけども、こここそ、今後の仕事拡大にあたっての最大のプレゼンシーンなのに!

今回のM-1を振り返ってみると、漫才はツッコミの技術を競う時代になったのだなと実感。
ミルクボーイのツッコミ自体は、ボケの方法論でやっているから、典型例とはいえないが。
ツッコミを競う傾向はずっとあったけど、今回にとどめを刺したと思う。
松ちゃんは単にニューヨークのツッコミを批判したかっただけだと思うが、その後これがフリとなり、ツッコミ論が番組全体に溢れた。
20年前だとまだ、クラスの人気者が、仲良しだが大してセンスのないツッコミを誘って芸人になる時代だった。そんなことでは今はやっていけない。
当然、ボケの役割も変質してきて、直接客を笑わせるのではなく、笑いの獲れるツッコミを引き出すフリになることを狙う芸になっている。
私は、こうした変化は歓迎している。ボケとツッコミが闘わないので、聴きやすくていいじゃないか。
そしてこういう構造になったおかげで、客にわからなくてもいい、シュールなボケもより威力を増すようになった。ちゃんとツッコミがわかりやすく翻訳して、客との接点を見出してくれるからいいのだ。

優勝したミルクボーイ、いろいろ考えているうちに、だんだんとその凄さがわかってきた。
私はプロじゃないから時間が掛かるが、でもわかった。
なぜ昭和と言われるかも。
つまり、彼らの漫才に存在する強烈な「型」の存在である。ここに「上手さ」、しかも客にストレートには伝わらない上手さがあって、プロの心をくすぐるのだ。
ボケ・ツッコミの個性に基づく笑いはそこにはない。いや、もちろん前提としてはしっかり持っているのだけど。
ツッコミで笑わせるのは銀シャリもそう。彼らも昭和の笑いということになっている。本当はそうじゃない気がするが。
銀シャリに感じる、「このツッコミの仕方、すごいな、面白いな」という感想は、ミルクボーイには当てはまらない。
ミルクボーイのやりとりは、一切客のほうを向いていない。それぞれ、相方のほうだけを向いている。
だからといって客には疎外感はない。楽しいやり取りを、就かず離れず眺める、絶妙の距離感がそこにはある。
なるほど、いとこい先生みたいな関係性が昭和の要素か。個々の個性を爆発させるのはあえて控え、一体感をより強めたコンビなのだなと。
型がしっかりでき上っているからこそ、コーンフレークをモナカに替えても、同じように面白いということだ。
客のほうを向きすぎている、かまいたちとは対極の芸。
かまいたちも上手いと言われるけど、方法論がまるで違う。
ミルクボーイは、たぶん、同じ方法論のネタ、他にもたくさんあるんだろう。食材以外もあるのかもしれない。
と思ってYou Tubeで次から次に視てみたら、本当にそうだった。全部面白いからすごい。全部同じなのに。
このシリーズ、落語にしても面白いのではないかと一瞬思ったのだが、すぐに上手くいかない気がしてくる。
ふたりの登場人物があまりにも同質だと、落語っぽくなくなってしまう。漫才だから、ふたりとも同質でも引き立て合ってちゃんと成り立つ。

M-1の審査員を務めるなら、たとえ初見であっても、ここまで的確に見抜ける必要があるらしい。
「俺にもできる」と思っているお笑いファンは、普段からもっと深掘りするクセを付けましょう。
私もだけど。

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作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。