M-1批評と評論家たち(上)

当ブログは毎日、朝7時15分に更新している。
古いYahoo!ブログの頃、2016年9月25日から始め、かれこれ3年と3か月。
誰のために毎日更新してるのか? いつ中断したって別にいいのだけど。
でもまあ、朝の電車の中で、通勤の無聊を慰めている方が多少はいるのではないでしょうか?
いませんかそうですか。

M-1グランプリの記事、ずいぶん長くなったのだが、落語のネタでないので4日も5日も掛けるようなことはしちゃいけないと思い、あえて3日に縮めた。
おかげでネタが枯渇の心配があるが、昨日、無料の落語を聴く予定があって、ギリギリ間に合うと思っていたのである。
しかし、聴きにいったその会、期待外れもいいところで、頭を抱えている。
一度も聴いたことのない二ツ目さんなのだが、なんとなく、きっと面白いに違いないと思っていた。
聴いてみたら、面白くもないし、下手だった。
下手といっても、「寄席地獄絵図」ほどではない。普通につまらないレベル。
無料とはいえ、わざわざ聴きにいくことはなかった。こういうのが一番困る。
この人の下手さをつらつら書き記そうかと思ったのだが、叩く価値まではない。
演出面にも問題があった。無駄な演出過多によって全体のバランスを損なう落語。
「王子の狐」の、男が帰ったあとの料理屋のシーンを克明に描きすぎたり。
日頃このブログで、本編に関係ないこのシーンの必要性を強調している。だが無駄に長い。
知っているクスグリは全部放り込まないと気が済まないらしい。

そんなわけで、ブログのネタが不意になくなってしまった。
仕方ないので、M-1グランプリ関連のネタを続けることにします。

さすがM-1グランプリは国民的行事。
当ブログで取り上げたことのある人たち皆が、なにかしらこの大会にコメントを発している。
すなわち、堀井憲一郎、ラリー遠田、高橋維新の各氏である。
これをネタにさせていただく。

まず、お笑いライター、ラリー遠田。
この人の、志らく擁護が余りにも許せなくて、かつて叩く格好で取り上げた

立川志らくを擁護すること自体が許せないのではない。いくらアホ噺家だからといって、理屈で擁護するのは全然構わない。
でも、ちゃんとした理屈がかけらもなかった。
とはいえ、志らく擁護の記事ひとつがひどすぎただけで、この人の書くものに、私はしばしば楽しませてもらっている。
このたび結婚したバカリズムや、米粒写経のサンキュータツオたちとかつてトラブったようなのだが、このトラブルに関しては、ラリー遠田氏のほうを私はむしろ擁護したい。
バカリズムやサンキュータツオは、芸人としての立場から、笑いのプロでないヤツが何を言ってるんだと怒っているようだが、そんなこといったら我々素人など、なにも言えなくなる。
ラリー遠田氏は、ちゃんと世間のお笑いに対して何か読みたいという欲求を、芸人と違う形で満たしているのだから偉い(少なくとも日頃は)。
ちゃんと世間の需要を満たしている記事に対し、笑いのプロじゃない奴が何か言ってるとケチを付けるバカリズムやサンキュータツオは傲慢だ。
バカリズムの芸人としてのパフォーマンスには敬意を払っているが、渋谷らくごなど取り仕切っていて、ずっと私のいる世界に近しいサンキュータツオ、あんたの漫才で、私は笑ったことがないぞ。
中途半端な漫才師より、読み手のいるお笑い評論のほうがずっと偉い。

その、ラリー氏の記事。M-1があった翌日にアップしているのだから、こういうものでメシを食う人は偉いと思う。
ブログじゃなくて、ちゃんと文春の社内でOKが出される時間もあるわけだし。
もっとも、残念ながら見事な視点というものは別になかったけど。
ツッコミの優しさに世相を感じるというのは、ラリー氏が記事をアップする前に、すでにツイッターに書いている人が確かいた。
だからといって、バカにしてるわけでもなんでもない。
世間の需要にこたえて迅速にアップするのは偉いなと、これは心底思っている。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。