M-1の翌日にWebに記事を載せているラリー遠田氏の迅速な仕事に敬意を払った上で、多少批評の批評をさせてもらいたい。
「ツッコミは客の代弁者である」というのを前提で、決戦に出た3組、それから松本のツッコミ評を導いたトップバッター、ニューヨークを論じているのだが、ミルクボーイのツッコミについて。
「ツッコミがボケを理解しようとするあまり、いつのまにか非常識の側に足を踏み入れてしまっている」と書いているが、これは違うと思う。和牛には当てはまると思うが。
最初から「ツッコミ」がテーマのM-1であったと書きたくなるのはよくわかる。でも、それが強すぎると、個々の個性も十把一絡げになりかねない。
ミルクボーイのツッコミは、客の代弁者となることは最初から放棄している。むしろツッコミであることを止め、ボケを強化しているものだ。
そのためには、ボケがボケ過ぎるといけない。
むしろ、ボケとツッコミではなくて、トスとスパイクなのではないかと私は思う。
革新的だとするならば、その構造自体。ボケ・ツッコミのくくりを維持したまま、革新的だと言いすぎているなとは感じた。
ちなみに昨日、ラリー遠田氏の新しい記事がアップされていた。
かまいたちの客いじりについて触れたものは、これが唯一。
続いて、堀井憲一郎氏。
M-1で優勝したミルクボーイの凄みと、上沼恵美子の叱言の意味(24日)
「M-1の審査」で改めてわかる、松本人志「評価能力」の凄まじさ(27日)
ふたつも記事を書いている。
この人最近、落語のことは全然書いていないと思う。東京かわら版の連載でしか見ない。
朝ドラと大河のことを書くのは以前からだが、どちらも視ていない私には全然ピンと来ない。まあ、それはいい。
M-1の翌々日には、最初の記事が出ている。
ボケの数を数えるというのはこの人らしいやり方。なんでもとりあえず数えてみると、そこになにかが生まれているわけだ。
和牛に対する上沼恵美子の怒りの理由も、これによって解析する。
セリフを書き写してみるというのも画期的だ。
ぺこぱのツッコミ(ノリ突っ込まない)も、セリフに起こしてみると面白くもなんともないのだというのは新たな発見。
なるほど、私の彼らに対する最初の拒絶反応の理由もわかる。動きがなかったらなにも面白くない漫才。その独特の動きがまず好きにならないと、その先に行かないわけだ。
私がオズワルドに好意を持ったのも、この裏返し。オズワルドのギャグは、文字に起こしても面白いのだと堀井氏は書く。
冒頭、ラリー遠田氏の記事の一部を、私の主観で否定させてもらった。
これに比べ堀井氏の記事は、いつも反論の余地が少ない点にすごみを感じる。
堀井氏の記事だって、実は主観に充ち充ちている。それは当たり前。
だが、主観を導くために客観的なデータを持ってくるところが見事なのだ。データによって主観が導かれているのだから、それに反論しても仕方ない。
データそのものを否定はできないからである。
もっとも、日頃こういう丁寧な仕事をしているからこそ、昨年の林家九蔵問題に関する氏の雑な見解はいただけなかった。
あの、正蔵師を持ちあげ、好楽師を責める記事のどこにも裏付けがなかった。
ちなみに私の書いた記事はこちら。
今はなきYahoo!ブログに載せてた頃は、この記事のお陰で「堀井憲一郎」で検索すると1~2ページ目に私のブログが来たもんだ。
次に、昨日出たばかりの堀井氏の記事。
今度は審査員の出した数字からM-1を負うもの。違う媒体用に、違う分析論を持ってきたのがすごい。
そしてこの記事は長い。やはり物書きとして仕事をするなら、スピーディに仕事はこなさないとならないのだと、泡沫ライターの私は妙に反省する次第。
ちょっと冗長気味だけど。
それはそうと、この記事は「ダウンタウン松本がすごい」ということに尽きる。
最終順位と、松ちゃんの評価が完全一致したということである。ただ、これはもう、ツイッターで多くの人が書いていたから、後出し感はぬぐえない。
ツイッターより早く気づいていたかもしれないけど。
それはそうと、松ちゃんを褒めたたえる論評を読みながら、ちょっと気になったことがある。堀井氏にではない。
冒頭の挨拶と決戦前に松ちゃんが、初出場者の多いM-1についてたとえていた、風俗ネタである。
風俗がいけないというのでも、子供が見てるからこのたとえやめてと言いたいのでもない。
どう見てもスベっているではないか。公開収録の客の印象は極めて悪い。
スベっているネタに固執するセンスが、どうなんだろうと。これ、誰も指摘しないのだけど。
自分が妙に神格化されないよう、あえて卑俗なギャグを入れてるのだとは思うのだが。
だがたまたま同時期に知ったニュースを知ると。性犯罪加害者山口敬之に対して、松ちゃんが「カッコよくない」と言い放ったという。
この、あまりにも無神経な一言と、ウケないのに繰り返す風俗ネタとがリンクしてしまった。
なるほど、こうしたところが裸の王様としても見られる理由なのだ。
センスのない松ちゃんは笑いも劣化している、とまで言う気はない。現にその、笑いの評価に対する力を見せつけた大会でもあったろうし。