市川チャリティー新春落語 その3(古今亭菊之丞「付き馬」)

菊之丞師を一席聴いて、早くも感激の私。
この内容で、500円だものな。
世の中というものは、実に面白い。
ホールではなく、パイプ椅子を並べた会議室だということを無視するなら、3,000円支払ったっていい内容である。

仲入り休憩を挟み、菊之丞師のもう一席。
着物を着換えて登場の菊之丞師。浅黄色の羽織から、鮮やかなブルー。表現が極めて野暮でもって申しわけありません。
花色とでもいうのだろうか。
羽織だけでなく、下もちゃんと着替えている。

マクラはなく、吉原の「馬」の説明を始める。ということは、付き馬である。
ふぐ鍋はトリでなくてもできるが、付き馬は立派なトリネタ。寄席の仲入りでもそうそう出せないだろう。
真のトリネタなので、決して珍しい噺ではないが、数は聴いていない。
廓噺だが、菊之丞師が得意な女は一切描かれない。ほぼ、調子のいい男と若い衆(牛太郎)の噺。
調子のよさは一席目の幇間と似ていなくもないが、雰囲気はかなり異なる。付き馬の調子のいい男は、別に客をいい気持にさせるわけではない。

しかし付き馬って、こんなに面白い噺だったろうか? それが最初の感想。
付き馬は、騙しの噺。
騙すのは楽しいものだが、被害者にしてみれば、とてもそんなことは言えない。
そして、この若い衆、別になにひとつぬかりはない。男の騙しのテクが、あまりにも鮮やかであっただけなのだ。
この善良な被害者に、同情してしまいかねない。ペーソスを重視した演出なら、そんなのもありだろう。だが、ごく普通には楽しめなくなってしまいかねない。
だが、あくまでも爆笑滑稽噺として描く菊之丞師。
さらに、吉原から浅草寺、仲見世から稲荷町へ抜けていく、その絵が非常によく見える。

この噺にもまた、さりげない数々の工夫を凝らす菊之丞師。
吉原で、若い衆が騙され、逃げられることがあるという伏線、というか本編の予告、そんなのを序盤で張るのは珍しい。少なくとも私はそう思った。
さらに調子のいい男が直接若い衆に向かって、騙されなければいいがななんて軽くつぶやいている。
一般的にはこの噺、最後の早桶屋の場面で、ようやく企みの全貌が客にわかるというのが普通だと思うのだ。
もっとも、五街道雲助師の付き馬(TBS落語研究会)とほぼ同じ型だ。
古今亭に以前からある型というよりも、雲助師から直接来たものかもしれない。
もちろん、どの型でやるか、やりたいかというのは演者のセンスである。

説明が過剰になる落語は私は好きじゃない。事前にわざわざネタを割ってしまっているという評価も成り立つ。
なぜこんな型があるのだろうか?
騙しの心理戦を描きたいのだろうか。
答は明確にはわからないが、少なくともこの演出で、噺が死んだりしていないことは確かだ。
むしろ、吉原の廓の内で債権回収するはずが、いつの間にか吉原の外でカネを作ることにすり替わっている点が、実にスムーズ。
騙すことを客が最初から知っている状況においては、不自然さが自然に変わるのである。
騙し予告がないのなら、客は、最初から男が早桶屋に狙いを付けていたように錯覚するのではないだろうか。よく考えればそんなことはない。

それにしても、早桶屋のシーンは圧巻。
実に見事な騙しっぷり。男の操る言葉がダブルミーニングになっている愉快さ。
どこでどうボロが出ても仕方ないと思うのだが、完全に切り抜けているそのさまは素晴らしい。
男は煙草を買いにいくといってプイといなくなってしまうが、若い衆は安心しているのでもはや疑問に思わない。
ここは、雲助師と異なる。

途中、客席から携帯が鳴ったのだけ残念。音は小さかったが。
事前に注意はあったが、電源の切り方を知らないのではないか。
電話なんだから、掛かってくるのは当たり前である。

万雷の拍手を切りのいいところでさえぎり、閉幕の挨拶をする菊之丞師。
2席の演題を伝え、客に再度感謝をして退場していった。
大満足の本八幡でありました。

(その1に戻る)

 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。