演芸図鑑の対談に一之輔師を呼び、一生懸命マウンティングを試みる立川志らく。
動物園の猿山を見る感覚でいると、とても面白い。
そこまで込みでウケを狙ってたらかなりのタレント性を感じるが、そういうことではなさそうだ。
演芸図鑑は確か、案内人が対談したい人の希望を出すのだと、別の案内人の誰かが言っていた記憶がある。
志らくの希望なのだろうか。日芸オチケンの後輩だからマウンティングしやすいと思ったのかどうか知らないが。
対談は2週にわたって放映することが多いが、なぜか今回は1週だけ。
まず、同業者で後輩だと一之輔を紹介する志らく。
同業者呼んだことあるんですかと一之輔。私はないと志らく。
同業者と喋ることが少ないじゃないですかと一之輔。それに応え、話すとしたら花緑ぐらいだと志らく。
友達少ない噺家で有名ですものねと一之輔。
それは落語界の共通認識だからいいとして、なら孤高の噺家として生きていけばいいのに。
しばしば落語界の仲間意識を自分のほうから求める了見が、私には理解できぬ。
ふだん遠くで自分たちのことをボロクソに言う野郎と仲良くしようという人は、普通はいない。
一之輔の入門が2001年と訊き、私が1985年、キャリアの差はずいぶんあると志らく。
キャリアに差があるのは歴然とした事実である。なのになぜか、「俺のほうが偉いんだ」と副音声が聴こえるところが不思議である。
それだけキャリアに差があるのに、世間(落語ファン)からすると、一之輔も同じようなとこにいるんだと言う志らく。
え?
落語ファンからすると「同じようなところ?」 一之輔と?
本気で言ってるらしい。
というか、志らくの落語のファンですら、そんなこと思ってないんじゃないか。
ここで一之輔マウンティング返し、カッコよく第一弾が炸裂。
そんなことないですよといったん返しておき、すかさず「そう言われたらそんなことないですよとしか言えないですけど」。
さすがラジオで鍛えた話術。
もちろん先輩は立てなきゃいけない。でも「実力」という土俵で闘ったときに、志らくと同じレベルである根拠がそもそもない。
志らくのほうはマウンティングの前哨戦として一歩下がっているわけだが、その嫌らしさを一之輔師は的確に見抜いているように映る。
一之輔語を翻訳すると、「志らくと同じ所にいないなどと傲慢なことを常日頃思っているわけではない。そもそもいちいち確認するような話じゃない。でもまあ本当に確認したとしたなら、あなたは私のライバルじゃない」。
さらっと毒を吐いておいて、他人に対する非礼を感じさせないところが、一之輔師のすごさ。
しかし志らくも、若い頃から散々上に噛みついてきたくせに、自分がジジイになってきたらキャリア自慢か。
らくごカフェの武道館記念公演の話。
8,000人の前で落語をした一之輔の話を訊く志らく。なぜそこに食いつくのか知らないが、そんなに羨ましいのか?
武道館でできるかどうかというのは、落語の人気・実力の問題と極めて近いが、イコールではない。
武道館のこの会には志の輔師も出たそうだが、忙しいのに打ち上げにも出てくれたと二ツ目の正太郎さんからマクラで聴いた。
一之輔のほうは、自分がその前でやってみて、意外なぐらい爽快だったと語るだけ。
自慢などまったく感じない。
だが、志らくの感性からすると、話を自分から振っておきながら、相手が乗っかかってきたように感じるのだろう。反撃のチャンスをうかがう。
今度は、持ちネタの数を競う志らく。
一之輔が、210ですかというと、抜かされてると志らく、190いくつだろうと。
一之輔師の持ちネタの数の多さは知られているところだろうが、でもそもそも、持ちネタ数で勝負する発想がな。
ネタ数なんて少なくたっていいものだ。橘家文蔵師などいつも同じ噺を掛けてるが、それに苦言を発する人はいない。
一之輔師のほうからは、そんな勝負、絶対仕掛けないと思う。
自分の勝てるところで挑もうとして、あえなくマウンティングに失敗する志らく。