柳家喬太郎のマクラの秘訣(中)

緊急事態宣言発動でもって、もう1か月は寄席どころじゃないですな。それはそうと。

続いて喬太郎師のマクラの秘訣、その2。
「仮想の敵を作らないこと」
敵を作ってネタにするのは簡単。だが、その敵が好きな人だって寄席にいるのだが、どうする?
意見の異なる人は、マクラでいきなりはしごを外されてしまった格好になるのである。
私が、噺家の無頓着な政治批判に冷淡なのはこれが最大の理由。やっちゃいけないとまでは思わないが、気軽に手を出し自滅しておいて、「いけねえ、今日の客は政権寄りだった」とか楽屋で言っているとしたら無策にもほどがある。
ナイツなど創価学会であることは有名だが、そんなこと問題にしようのないネタをいつも披露している。

喬太郎師のVTRコレクションから続けてマクラを聴いていたら、早速こんなのが見つかった。
演目は「白日の約束」。
喬太郎師の落語によく出るモテない男が、初めてできた彼女に「今日何の日か覚えてる?」と問われる。
男はモテる友人の助けを借りて、ようやくホワイトデーだと知るのだが、歴女の彼女にとってははるかに大事な、刃傷松の廊下の日。
この楽しい新作落語のマクラにおいて、喬太郎師はホワイトデーを木っ端みじんにdisっている。
だが、これを聴いて不愉快になる人などまずいない。ミルクボーイのコーンフレークと同様。
ちゃんと師は、「モテない男のヒガミ」であることを前面に打ち出して毒を吐いているからだ。
客は、別に喬太郎師が真にモテない男だとは思っていない。だから、そこにまったく生々しさがないのだ。
生々しさはないのに、なんとなく共感だけしてしまう。

スポーツに興味がないというマクラも同様。現在は、花筏(喬太郎師としては、珍しいスポーツもの)のマクラで振るようだ。
世にはスポーツの好きな人がたくさんいる。単純に好き嫌いを語ると、思わぬところで批判を受けかねない。
だが師は「スポーツなんかに興味がないが悪いか。ケッ!」という態度は決して取らない。
こうしたシーンで、客を考えずに自分自身の好きなことをわめくのがただの毒舌というものである。
オリンピックの最中、スポーツに興味がないんですよという話をしようものなら、「人非人」呼ばわりされると語る。
多数派を占めるオリンピック好きの客から見て、最も強烈な、あり得ない状況を語ることですべてを一撃に解決してしまう。
こういうやり方を取ると、誰からも批判はされない。
そしてマクラの立ち位置を常に重視する喬太郎師、興味のないスポーツに対し、むしろ自分から寄っていく。
トライアスロンをする噺家(橘家圓太郎師のこと)や、噺家の野球チームの話をすることで、最大公約数をつかみにいくのだ。
こうして、スポーツ好きから、喬太郎師と同様のスポーツ音痴まですべてを同じ土俵に載せていく。ひとりも脱落させないのだ。

任侠ものの「小政の生い立ち」では、アメ横付近にいたチンピラをいじる。
チンピラなんか、客の全員から唾棄される存在だろう。だがそんな人にも、「古い日本映画で描かれた典型的な正しいチンピラ」として、ある種の愛を注ぐ。
ヤクザだからではなく、この世の一部を構成する人だから。

「粗忽の使者」では、新幹線の駅に迎えにくる落語会スタッフの粗忽ぶりを描写する。着物の噺家が降りてくると決めつけ、私服の喬太郎師を無視するスタッフ。
だが、怒りのマクラなのに、このスタッフに対する怒りの度合いは、とても薄い。与太郎を江戸っ子が叱らないようなものなのだ。

日本の話芸で出した「擬宝珠」では、本編が短いので、コロッケそば方式でたっぷりマクラを振る。
師匠・さん喬にどれだけ誘われても頑固に行かなかった海外公演についに出向いた喬太郎師、せっかく行っただけあって、爆笑マクラを作ってきた。
霊が街中に溢れるアイルランドの話、日本語を学んでいる女子学生たちと触れ合った英国・ケンブリッジでの話。
これまた、海外好きの人から、行きたくてもいけない人、行きたくない人のすべてを楽しませる。
女子学生たちは伊勢物語を読んだりしているインテリなのだが、だからといって彼女たちを褒めあげるために、対立軸を作ることは絶対にしない。
対立軸として便宜上、そこらへんの日本の女子大生を持って来はする。でもそこには嫌味のかけらもないのだ。

これはそうそう真似のできるスキルではない。喬太郎師自身が、偏見から極めて自由な人だから可能なのだと思う。
ヘタクソが真似するとする。
すると、共通の敵を見つけてその少数派を攻撃するか、あるいは演者自身が聴き手よりも上に行ってしまうか。逆に、へりくだり過ぎて客に本当に呆れられるか。
あるいは、演者の人柄がいいのはいいとして、まるで聴き手の感情を裏切ることができず、笑いが発生しないか。

落語というものは、配慮の塊として時代を生き抜いてきた。昔から、人を傷つけないよう配慮していた。
人をむやみやたらに傷つければ笑いを得られるのか? そこに対する明確な回答がここにある。
まさに噺家らしい喬太郎師。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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