柳家喬太郎のマクラの秘訣(下)

一日別ネタで失礼しました。

続いて喬太郎師のマクラの秘訣、その3。
ギャグを客に拾わせること。

漫才についていうなら、基本的には客に直接ギャグをぶつける性質の芸ではない。
ふたり(以上)の掛け合いを客に見せていくものであり、客のほうから舞台に乗り出し、やってきてくれるもの。
昔の漫才のほうがこの傾向はより強い。今どきのコンビでも、ミルクボーイなんて典型例で客のほうは一切向かない。
なにも漫才を例に出すこともないのだが、要は笑いというもの、客の姿勢次第でいくらでも中身が変わってくることが言いたいのだ。

落語についてはこの構造はない。
本編に入れば人物の描き分けをするため、ツッコミも機能する。だが、マクラにおいては結局は独り言。
ナイツの漫才のボケだけバージョンみたいなものかもしれない。ときどき、セルフツッコミを入れてやる必要がある。
そんな形であるから、噺家は客に直接マクラを語り掛ける。
客からすると、演者と1対1。いっぽう演者からは、不特定多数が相手。
不特定多数を相手にするがゆえに、噺家はしばしば、距離感を誤る。対象をどこに置いていいかわからなくなるのだ。
客によっては、古典落語に付属のマクラを振った際に、どうでもいいおなじみのネタに対して拍手したり。こんな反応があると戸惑ってしまうこともある。
だが喬太郎師、ひとり語りのマクラの段階から、距離感を誤ることがまずない。

落語は笑いだけの芸ではないが、喬太郎師の落語に笑いを求める人は当然多い。
もっとも喬太郎師に「マクラで楽しませてもらおう」としても、うまくいくとは限らない。寄席のトリで古典落語の大ネタだと、ほとんどマクラは振らないし。
喬太郎師に、マクラで徹底的に笑わせてもらえるのは、次の場合。

  • 持ち時間の割に本編が短い
  • 落語会で時間の制限がない
  • 新作で、設定的に助走が必要
  • 短い時間でできる、確立されたマクラ(例:コロッケそば)が振りやすい噺

なんの噺をしようか考えつつマクラが長くなるというパターンも、演者によってはしばしばあり得る。
喬太郎師の師匠・さん喬などそんなタイプ。だが、喬太郎師については、こういうことは意外とないのではないか。
一見アドリブで進めていそうで、大枠は組みたててから上がっている気がする。

ともかく、手短なネタの場合や新作だと、マクラをよく振る師匠である。
その際この師匠、客に向かって直接ギャグをぶっつけることがそうそうない。客いじりもそうそうない。
師は徹底して、最大公約数を拾いにいき、誰も脱落しないように留意する。ウルトラマンやゴジラの話で一人盛り上がりつつ、口では誰もついてこないなんて言いながら。
でも実はどんなネタであっても、ひとりよがりなんてものではない。客が詳しくないネタであっても、客は狂った(ように見える)喬太郎師のその姿を、とても楽しんでいるのである。
喬太郎師の客は、とても能動的。自ら、ギャグを拾いに乗り出してくる。
演者があえて、客の目の前にギャグを落っことしているので、自ら拾いにいかないと楽しくないのである。
喬太郎師に徹底的に楽しませてもらっているようだが、実のところそこに繰り広げられているのは共同作業。
互いに手を握り合ってギャグが成立する。この高座に、政治思想や好きなスポーツなど、客一人一人を隔てる要素はどこにも見られない。
喬太郎師の高座、だから意外なぐらい疲れない。
楽しいのだが疲れてしまうという高座もある。それは、笑いが共同作業になっていないので、アジャストさせるために労力を使うからだ。

私は、この構図を発見したのは実は当代三遊亭圓歌(歌之介)師からだ。爆笑の漫談だが、普遍的な構図を持っている。
キャラクターを作り込んで高座に上がる圓歌師と、一見素のままにも見える喬太郎師と、タイプは全く違うようだが、実はよく似ているのである。

(上)に戻る

 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。