柳家喬太郎Vs.伊藤亜紗 その3

伊藤先生、専門に引き寄せてのコメント。
絵画にも「目垢」という言い方があると。
多くの人が鑑賞することで、絵が変わってくるのだそうだ。みんなが見ることで名画は名画になると。
ちょっと調べてみると、特に骨董などで悪い意味で使うことの多い言葉のようだ。世間の目に触れないように、つまり目垢が付かないように美術品を隠し持っておくこともあると。
だがここでは、明らかにいい意味、絵画自体の体験する新たな世界という意味で用いている。

このくだり、よく観察すると喬太郎師と伊藤先生との間に齟齬がある。
喬太郎師の最も古い新作落語である「純情日記横浜編」について伊藤先生は、多くの人の手に触れたことで変質し、目垢がついて成長したのだと考えたのだろう。
だが喬太郎師は、最初に「人に教えたからではなくて」と断っている。噺が勝手に自分から離れて、また帰ってきたのでと。
でも、伊藤先生は「世間に出ていった」ことが変質の要因だと理解したのだ。そういう解釈もいいじゃないか。
「すみれ荘201号」については、最初から世間に出ていかなかったということになるだろう。

喬太郎師、多くの人の手が加わって成長する、古典落語をさらに取り上げる。
具体的な噺が出たわけではないが、私がまず思いついたのは「時そば」である。よく掛かることで客の目が鍛えられ、噺自体もブラッシュアップしていった演目。
「芝浜」「文七」とか言い出すとちょっとズレそうだ。

その上で喬太郎師、埋もれた噺の話題に進む。
埋もれた噺、つまり人の目にも触れず、手の掛からない落語の演目である。目垢のついていない噺ということ。
復刻落語の第一人者喬太郎師は、多くの埋もれた噺を掘り起こした。
その中から、復刻のベストであろう「擬宝珠(ぎぼし)」について。
擬宝珠に関する私の記事はこちら

擬宝珠は、金物舐め嗜好のある若旦那の噺。いにしえの新作落語である。
崇徳院の枠組みを借りているが、その実グロ。
いにしえの人にはなにがなんだかわからなかったろう。だからいったん埋もれた。
しかし現代に、フェティシズムの噺として、魂が再び宿り、蘇るのだ。
ある種、千両みかんよりもずっと現代人の心情に迫れそうな。これは私の感想であるが。

「私が擬宝珠に魂を吹き込んだ」と、能動態で功績を語ってもいいのだが、この驚くほど謙虚な師匠は決してこうは言わない。
埋もれていた落語「擬宝珠」自体の魂を語る喬太郎師。
この番組では触れていないが、「綿医者」もそうだろうか。これはフェチ落語ではなく、痛快人体解剖落語とでもいうべきか。

実際にはカットされている部分の伏線を回収しているのだろうが、編集のため唐突に伊藤先生、「新作も古典だし、古典も新作だし」とぽろっと語る。
この言葉が喬太郎師にいたく響いたようだ。目からウロコと。
「古典落語も昔は新作だった」という言葉はある。これは先代古今亭今輔。
実際のところ古典落語で「かつては新作」に該当するのはそんなにないのだけど。試し酒とか。
実は、古典落語は生まれたときから古典であることが多いのだが、それは脱線になるのでさておいて。
喬太郎師、「古典だってやりようによれば新作落語になるじゃないか」と。
そんなことを皆言うのだが、言葉として聴いたのは初めてなんだと感激の喬太郎師。

喬太郎師が語っているわけではないが、古典を新作落語としてやっているのが、今をときめく春風亭一之輔師だと思う。
いちのすけ落語を、「ちゃんとしてない」と感じてしまう人は、新作落語の体系を内面化できていない、残念な落語ファンである。
喬太郎師に関していうと、もっと古典落語をはっちゃけてやりたい気持ちがあるのだろうか。一方で師の場合、くすっとさせる程度の落語をもっと掛けてみたくて仕方ない、そんな気もするのだが。

場面は変わって。
伊藤先生は、落語は「温泉にみんなで浸かってる感覚」があるという。
喬太郎師が「共有してる感じはあると思う」と返す。

伊藤先生がどれだけ落語を日頃聴いているのかはわからない。だが、美学の専門家として、独自の感覚でアプローチをしているのは確かなようだ。
そうだそうだよ、温泉だよと膝を打つ。
そして、爆笑落語の大家として見られがちだし、ファンもそれを期待している喬太郎師が、その点に対して深く共感する。
爆笑落語論を持っている人もいるが、「笑わせるんじゃないんだよ。思わずくすっと笑っちゃうのが落語なんだ」と語る人もいる。
柳家なんかは後者のほうだとさらっと語る喬太郎師。ここで先ほどの話とつながるのである。
喬太郎師も、柳家のDNA、軽いおかしみを内面化している人である。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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