配信落語に思う

林家彦いち師の新作落語「神々の唄」について以前書いた記事に、急にアクセスが増えた。
AbemaTVでもって流れたようだ。
私も後でアプリ入れて、アーカイブを拝見しました。
この番組の情報そのものを、私はブログのアクセス増加でもって知ったわけだ。現代には思わぬ情報経路が存在する。
「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」以来の、神々の唄が聴けて結構感激。
柳家喬太郎師は同じAbemaTVの番組で「路地裏の伝説」を掛けていた。あいにく、この名作に関する記事は書いていない。
それにしても、一流の噺家さんは、配信でもブレないなと感服。

世の中で落語がいまどうなっているかというと、配信だけが細々と生き続けている。
「テレワーク落語会」という言い方は、一般的な用語としてはもう消えたか。
悪いが、私はそろそろ限界になってきた。配信では満足できない。
特に古典落語。配信で掛かっていても、それほどには惹かれないのです。You Tubeにたくさん出ている落語がひとつ増えたという感覚。
寄席に行きたくて仕方ない。
仕事は幸い不思議とあるので、暇を持て余してはいない。だが、頭がすっかり煮詰まってきた。
6月になったら落語は聴けるだろうか? 6月第1月曜は「寄席の日」だったりする。
コロナ警察からすると、「けしからん! 落語なんてまだまだ不要不急だ!」となるだろうけども。

それにしてもネット配信を聴いて、寄席で聴く落語というものが、いかにインタラクティブな世界であったか、改めて感じ入る次第。
テレビ、ラジオから流れてくる落語にだって、通常は観客がいる。
少なくとも、その観客と演者との間は双方向なのである。
その関係があってこそ、視聴者もそこに混ぜてもらえる。たとえそれが、NHK演芸図鑑のエキストラ客のようにいちいち「エー」とか声出してる野暮な客だとしても。
ネット配信では、この点どうしようもないのであった。

社会が変わりかけているというのに、寄席は変わらないのがよしとされる場所。
それはそれで、どうかと思う。
寄席も休んでる間に、電子マネーぐらい使えるようにして欲しいものだが。QRコード決済とは、さすがに混乱しそうだから言わないけど。

落語の配信を否定したりはしない。
コロナを機に世の仕組みは変わると思う。一度始まった配信落語も、なくならないだろう、たぶん。
寄席の夜席を生中継で配信するなんていう企画が、今後もきっとあると思う。
有料でやるなら、現場も視聴者もWハッピーだ。
そもそも、映像がなくていい気もする。音声だけの配信もあるだろう。
もっともこうなると、放送の原点であるラジオでの落語生中継と変わらなくなるけども。

だがいずれにせよ、旧来のやり方ではダメなのかもしれないな。配信落語のアーカイブを聴きながらそう思わないでもない。
ラジオを2本やってる春風亭一之輔師の10日間配信は、このあたりが他に抜きんでていた。
師は目の前の客ではなく、その先のリスナーを意識してネタを繰り出している。マクラがまさにラジオの呼吸。
師の落語を初めて聴いた人の中は、配信だからってこんなぶっ飛んだ高座にしなくても、と感じた人も多数いたらしい。実際には、ご自身が言う通り「平常運転」なのだが、実はもともと配信にドンピシャのスタイルだったのだ。

配信と関係ないのだけど、円楽党の前座「三遊亭楽太」さんの記事も急にアクセス増えたのだが、この方たちはどこからいらしたんですかね?
どうせなら、楽太さんを書いた両国寄席の記事、最後まで見ていって欲しいのだけどな。
情報だけ得て去っていくところを見ると、伊集院光関係なのかな。

さてボヤいていても仕方ない。コロナ禍でネタのない中、なんとかブログの毎日掲載を続けるのが私のレゾンデートルだ。
寄席が始まるまで、もう少し頑張って続けてみますよ。

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作成者: でっち定吉

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