八代目桂文楽「心眼」(上)

 

Eテレの「SWITCHインタビュー 達人達」という番組に柳家喬太郎師が出ていたので、当ブログで5日に渡って取り上げたところである。
記事へのアクセスはそんなに多くなかったけど、私が満足していればいいのだ。
対談相手の、伊藤亜紗東工大准教授の話にも、知的好奇心をいたくかきたてられた。

その際、古典落語「心眼」にもちょっと触れた。触れたのは番組や喬太郎師ではなく、私自身。
視覚障害者のための言語が、そして落語がこの世に存在しうるならば、心眼など、さらに生まれ変わる可能性があるかもしれないと思ったのだ。

「心眼」の主人公は按摩であり、つまり盲人である。
そうそう聴ける噺ではない。私も生で聴いたのは一度だけ。昨年、赤羽岩淵のお寺で古今亭志ん松さんから
聴けないのは、もちろん差し障りがあるから。
寄席に視覚障害者が来れば、盲人の噺はNG。
心眼なんてよくできた噺、障害者自身が聴きたいこともあるようだが、こればっかりはルールとしてどうにもならぬ。
落語会でネタ出ししていれば別だけど。

心眼、もちろんメディアから流れることはさらにない。
だが、実はひとつ録画を持っている。志ん松さんの心眼に出くわし、記事を書いたときには忘れていたのだ。
古今亭の先輩、文菊師のもの。地上波ではなく、「衛星劇場」である。CSは差し障りが緩いらしい。
志ん松さんの心眼も、出どころは同じようだ。直接文菊師に教わった可能性もある。
放送禁止用語に触れたマクラでもって、「親方をチーフと言い換える」ネタも、過去に誰から聴いたんだっけと思っていたら、ここだった。

この心眼を、伊藤亜紗先生の教えを参考に、再度聴き直してみようと思った。だが、なんと録画したBDが傷んでいて、いよいよ女房が座敷に乗り込んでくるクライマックス直前でもって、その先が聴けなくなってしまっている。
大事にディスクを取り扱っていても、たまにはこんなこともある。他の演目ならまだいいけど、貴重な心眼が。なんてこった。
文菊師の心眼、そんなわけで途中までしか聴けないのだが、なかなかいい。女房、お竹の心根の優しさが染みる一席。

代わりにYou Tubeに唯一アップされている「心眼」を聴いてみる。
黒門町の師匠、先代桂文楽だ。相手にとって不足なし。
モノクロ動画。動画が残っているのが貴重な時代である。
わずか20分の手短な高座には、ムダがまったくない。
現代の文菊師のもの、この一席に比べれば、ムダだらけだと言っていえないことはない。
もちろん、現代には現代の落語がある。マクラたっぷり、間もたっぷり取って。そういうスタイルが主流。
昔がすべてよかったなんて言わないし、思ってもいない。でも、いいものは現に時代を超える。
このスタイルでもって現代の高座に掛けたとして、感度のいい客にはちゃんと伝わるに違いない。

心眼は、三遊亭圓朝作。
圓朝の弟子に、初代三遊亭圓丸という音曲師がいた。この人が盲人で、その体験を聴いた圓朝が一席の落語に仕立てたのだという。
なるほど、心眼はすでに、視覚障害者の体験から出ているものなのだ。
Wikipediaの「心眼(落語)」の欄には、圓丸は圓朝の実弟であったと書いてあるのだが、恐らく間違い。
初代圓丸の項にはそんなこと書いてない。弟子であったのは間違いないにしても。
そして文楽は、モデルになった圓丸に、自分の前座時代に遭遇していると冒頭で語る。二三度、手を引いて高座に上げたのだそうだ。
黒門町を挟むと、もうちょっとのところで圓朝までつながるのだ。ちょっと驚く。

黒門町の師匠、そんなにたびたび聴くことはないが、聴けばストレートに感じ入る芸。
余計な回り道をせず、最短ルートで人情を語り込む。クサさとは無縁の芸だ。

この文楽の心眼について、視覚障害者視点からみてどうなのかというのを考察してみる。
どうせなら伊藤先生の著書を読んでからのほうが考察にはいいのだが、先に考え、後で読むことで新たな発見が得られることだってあるだろう。

続きます。

 

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作成者: でっち定吉

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