仲入り休憩時にお茶のサービスがあって嬉しい。
トリは志ん松さん。
先ほど、直前で噺を決めましたけど、後悔してます。
碁どろという噺でしたが、これやってしまったので、「碁の噺」も「泥棒の噺」もできなくなっちゃいました。
自分でふたつ潰してしまいましただって。
碁の噺ということは、「笠碁」だよな。他には碁の話はなかったと思う。
きっと笠碁も、碁どろと同様に、隠居たちの子供じみた面を強調してやるんじゃなかろうか。
30年後には、演者の年齢が隠居に追いついて、完成を見るわけだ。
泥棒の噺はたくさんある。
花いち兄さんが確定申告の話をしてましたが、私はかみさんにまかせてます。
なにしろ、扶養家族ですからだって。
ということは、年収130万ないのだな。二ツ目さんは大変なのだ。
でも、扶養家族に入るのは現実的にいい手である。国民年金も、国民健康保険も払わなくていい。
その前に結婚しなきゃいけないけど。
でも奥さんも、志ん松さんの将来に期待しているんだと思うよ。
噺家は、年齢を重ねるたびによくなる人が多いというのがいい。夢がある。
寄席の掟「さわり」の話をする。差し障りである。
目の不自由な人が寄席に来たら、楽屋にすぐ連絡が入り、さわる噺は掛けない。
テレビで出すときは、放送禁止用語に気を付けなければいけない。
「親方」すらNG。どう言い換えるかというと、「チーフ」。できるか。
そして心眼に入る。
盲人の噺は、廓噺よりずっと掛かる頻度が少ない。
生で心眼を聴いたことは、なかった気がする。
そしてTVでも流れない以上、その仕草を観たこともないかもしれない。
これはラッキーかもしれない。
寄席で聴いたことがあるのも、小里ん「言訳座頭」、菊之丞「三味線栗毛」、扇辰「麻のれん」ぐらいだ。
若いのに、いろいろ志ん松さんは勉強熱心なのだ。
最初に出てくる登場人物は、心優しいおかみさん、お竹。
女のこの描写が、兄弟子の志ん吉さんによく似ていて、上手い。
志ん松さんの奥さんも、きっと優しい人なのではないだろうか。
実の弟を訪ねていき、この「どめくらが」とひどいことを言われ、落ち込んで返ってくる按摩、梅喜の様子がおかしいのを、お竹は見逃さない。
薬師様に願掛けに行き、目を開けてもらおうとする梅喜。
人の心の醜さを描き、そして夢オチという、「鼠穴」と構造の似た噺。ともに文学的感動を覚えずにはいられない。
幼いころは目が開いていたらしい梅喜、そのときの記憶にない人力が走り廻っていて驚くあたりに、時代の空気も感じられる。
初めて観るこの噺の仕草だが、特に驚く部分はなかった。
梅喜の目が開き、そしてまたクライマックスでは閉じている。
時間を超える熱演でなかなか良かった。私も非常に得した感じ。
この噺、どうすればさらによくなるのだろうか。
世話女房のお竹が、怒りにまかせて梅喜の首を絞めるあたりで、これを夢だと知っている客がのめり込むようになればいいわけだ。
その方法論、どうすればいいのでしょうね。
圧倒的な迫力のある演技で迫る人もいるだろう。それも正解だと思う。
だが落語なのだから、淡々と持っていける人のほうにむしろグッと来る気がする。
ふたりの演者に見送られ、お寺を後にしました。
2か月に一度のこの会、いずれまた寄せていただくかもしれない。