桂米輝 その1

コロナ禍で寄席もない中、TVや配信の落語をいじってブログのネタをつないでいる。
一流の噺家が有料配信を手掛けているのだが、そのチケットを買う気には、どうしてもならない。
私にだって、噺家さんを支援したい気持ちもある。でも、寄席が始まってからでもいいのではないでしょうか。それじゃ遅い?

生活ももちろん大事だが、ここを機に、無料の配信で名前を売ってやろうという噺家もいる。
そんな中から、すばらしい人をひとり見つけた。そして、私のネタ切れも解消したのである。
名前だけ知っていた、桂米輝さん。よねき。上方の米團治門下で入門9年。
米輝さん、You Tubeに無料でどんどん新作落語の配信をしている。実に楽しい。
新作専門ではないそうなのだが、You Tubeには、新作を中心に出しているらしい。
賢明だと思う。古典落語大好きの私も、無観客の古典落語を配信で聴くとキツいときもある。
一方新作の場合、常軌を逸した作品であっても、自分でツッコミを入れながら聴けばいい。
戸惑った観客の乾いた笑いを聴かなくて済むので、白ける心配がないなんてことすらいえるのだ。
無観客配信をする米輝さんと、1対1で対峙しているのは、なかなか新鮮。噺を損なうマイナス要素はどこにもない。
普段寄席に行った際は、自分自身の感性とは別に、最大公約数的感性が働く。自分自身が楽しかったのにも関わらず、他の客が高座に引いていて、それを私の最大公約数的感性が受信したりなんかして。
まあ、逆のこともあるのだけど。みんな笑ってるけど、一体なにが面白いんだ、オイという。

米輝さんの名を初めて認識したのは、東京かわら版4月号の末尾、読売新聞の長井好弘氏のコラム「今日のお言葉」である。
「千早ふる」における、「大阪がまだ江戸といった頃」というデタラメフレーズを、今日の言葉として引いていた。これが気になっていた。
長井氏は大阪にもちょくちょく出向いているようだが、米輝さんの高座はすべて東京で聴いたらしい。
寄席が再開されたら、私も聴きにいかなくちゃ。

米輝さんはスキンヘッド。怖くはなくて可愛らしい。
そして落語の腕は、すばらしく高い。
新作ばかり配信に出ているからそればかり聴いているわけだが、その新作落語からも、古典落語が達者なことはすぐにうかがえる。
上方落語だが、見台は使わない主義らしい。
新作落語だったら見台使わないなんてルールはなく、新作だって使っていい。でも、この人に関しては、確かにないほうがいい気がする。
ちなみに「新作落語」と銘打っているのが、ちょっと嬉しい。
上方では、文枝師が自作の落語を「創作落語」と称しているため、そう呼ぶ噺家も多い。
でも、「古典落語」に対する用語は、ふたつも要らない。先に新作落語という名前が存在するんだから、それでいいじゃないか。

新作落語作家としての米輝さんにも、いたく感銘を受けた。
新作落語の作り方は、東京と上方とで大きな違いがある。繰り返し当ブログでも述べている私の持論。
上方落語の場合、日常を描く新作が多い。
いっぽうで東京では、必ずどこかに「飛躍」を持ち込んでくる。日常からちょっと離れた世界や、ちょっとおかしな人物を描くことが多いのである。
米輝さんの新作の手法は、便宜上分けたときの、東京の作り方に近い。
楽しい新作が、いきなり飛躍に充ちている。
たまたま最初に聴いた「寿司屋兄弟」など、兄が握った寿司に、弟がいちいちカレーを掛けて提供しているのである。
間違いなく、東京の新作ファンは、みな好きなタイプの落語だ。
中には、大阪弁を使わない作品まであった。違和感まるでなし。
こういう才人が出てきた以上、東京と上方とで落語の作り方が違うという説も、ちょっと怪しくなってきたかもしれない。
上方の新作に対する私の認識は、上方全般ではなく、「創作落語」の第一人者である文枝師の特徴なのかもしれない。
大阪にも、桂小春團治師のように、飛躍度の高いネタを作る人もいるのだから。

NHK新人落語大賞ぐらい、3年以内にゲットしそうなこの才人のことを、数日書かせていただきます。
続きます。

 

作成者: でっち定吉

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