八代目桂文楽「心眼」(下)

 

人間の感覚の欠落を考えると、幼少の頃よく読んだSFのことを思い出す。
最近はSF決して流行るジャンルではないけど。
SFにおいては五感の次、第六感が当たり前のものとなっている世界がよく出てくる。次の感覚は、だいたい、テレパシーである。
五感までしか持っていない地球人が、宇宙でこういう宇宙人に逢うと、憐みの目で見られるのである。
また、地球上でホモ・サピエンスの新種が現れると、現存人類に迫害されるのだ。
SFを持ち出さなくても、視覚が意味を持たない世界について考えることは、落語でもできる。
もっとも、文明の発達した世界の宇宙人は、実際には地球人をやたらと憐れんだりしないと思う。
やや脱線したが。

さて、夢オチの噺は落語には多い。
もちろん、夢をほったらかしにして終わってしまうわけではない。ちゃんと夢の中身をきちんと消化する。
人情噺では、心眼以外に「鼠穴」がそうだ。
夢から覚めて、ああよかったとなる点が同じである。
上手い人の人情噺だと、夢だとわかっていながら、胸を締め付けられる感覚になるものだ。そしてホッとさせられる。
だからこそ、ネタバレになったとしても、夢オチについて触れることに遠慮しないのだけど。

鼠穴は、夢で見た実兄の心の暗さが、間違いであってよかったというもの。
火事の事実がなかったことに加え、一度見直した兄の心根が嘘だったという悲劇、それらがすべて夢から覚めリセットされたことで、聴き手に快をもたらす。
いっぽう心眼において、夢だと知ってリセットされるのは、主人公である梅喜自身の心の暗さである。心の暗さが夢を見せたのだ。

心眼で不思議なのは、梅喜が女房のお竹について不満を持っているという伏線が、一切ないところ。
心の底から優しい、天女のようなお竹について、梅喜が不満を持ついわれなど一切ない。
なぜお竹が化け物であるという夢を見たのか。
弟に「どめくらが」と罵られた梅喜が、健常者と同じ世界を感じようとして、夢でお竹を犠牲にしてしまったということなのだろう。

夢の中の梅喜、実際にお竹がどんな顔をしているのかを、確かめたわけではない。
上総屋の旦那と、芸者の小春からの伝聞だけを聞き、家に帰る前にあんなのを追い出してやろうなどと決めてしまうのだ。
そんなひどいことがどうしてできるのか。それは、梅喜が役者並みのいい男だから。
顔が綺麗なほうが地位が上だという、まさに健常者の価値観がそこにある。

噺の中の真の設定としては、お竹が化け物だというのも、梅喜がいい男だというのも、どちらも嘘だろう。
夢ならではの、架空の事実のはず。
もちろん、勝手に聴き手が想像するしかないのだが、本当にその設定が事実なら、どこかに歪みが生じてしまう。
お竹のキャラは、まともな男に相手にされないが、目が見えないのを幸い、いい男をつかまえたということになってしまう。
梅喜のほうも、目が見えないなりにその情報を知っている。
それを理由に鬱屈が生じたのなら、さほど不思議ではない。でも梅喜は女房の美醜を知らないのだ。

梅喜の見た恐ろしい夢のフィニッシュは女房に首を絞められるシーン。
座敷に躍り込んできた女房が誰だか、目の開いた梅喜にはわからない。
梅喜はいったい、開いた目で何を見たのだろう。
ゲスな夢がなおも続いていることを思えば、梅喜が最後に見たものは、女房の意外とちゃんとした顔だったのではないだろうか。
だから夢の中で女房に謝っているのである。視覚を持った人間としての反省を見せるのだ。
なら、上総屋の旦那はウソをついたのか。まあ、そこまで夢の中に整合性を求めても仕方ない。

夢から覚めた梅喜、優しい女房の価値を一瞬のうちに思い出したはずだ。
またしても暗闇の中に閉じ込められた梅喜に、安心こそあれ、無念はない。
自分の知っている世界に戻ったのだ。

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作成者: でっち定吉

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