どうもご無沙汰しております。
ブログの更新を減らしたら、日々のアクセスは減らず、個々の記事のアクセスが増えた。
更新頻度を減らしたのは戦略ではなくて、ただのネタ切れ。とはいうものの、今までの更新頻度が無意味に高すぎたらしい。
仕事も落ち着いたので、私は今日、ようやく寄席に行きますよ。レビューもします。
さてその前に、ネタをひとつ思いついたので。
もともと、ラサール石井の老害暴走について、私なりに心を痛めていたところから話はスタートしている。
ここでただの左翼文化人批判をするとなると、落語とあまりにも関係がない。
ブログの記事にはしづらいと思っていた。だが、ふとしたことで落語にくっついたのである。
直接のきっかけは松尾貴史。
ネットのバッシングで自殺した人の悲劇を繰り返さないため、自民党がさっそく法制化の準備に乗り出した。
私の好きなナイツのちゃきちゃき大放送に松尾貴史が出て、これについてコメントしていた。どさくさに紛れて、政府批判を取り締まろうとしているのだと。
これに感銘を受け、ツイートしていたのが立川雲水。どんな権威より自分のほうが偉いという態度は崩さないくせに、松尾貴史には敬服してみせるんだね。
ラジオを聴いて、雲水と同様、すばらしいと思った人も多くいるだろう。
松尾貴史の認識それ自体は、左翼嫌いの私の中にすら、ちゃんとある。また、出てきた相手が高市早苗だし。
だが、この松尾貴史の批判、理解する一方で、果てしない違和感を覚えた。
弱い者の味方をしない左翼に、なんの存在意義があるのか。
自殺した人は気の毒だけど、政府批判を汚い言葉でする権利は守れってか。
松尾貴史の発言は、左翼以外の誰に響くのでしょうか。
どうして左翼政党が、若者の支持を得られないのか、この場面に、その答がすべて出ている。
少なくとも、人の自殺に心を痛めた人が、言葉の暴力を取り締まる法制化にまっすぐ異議を唱える?
政治なんだから、裏になにかの目的を秘めているのは当たり前のこと。その、何かの目的だけをほじくり出して批判する態度で、心を痛めた人の支持なんか得られるか?
ラサール石井も松尾貴史も、ついでに雲水も、弱い者への共感なんてかけらも持ってない。自分たちが偉そうにできるシーンを常に求めているだけだ。
だから本当は彼ら、安倍政権がやたらと続くこの世が、一番心地いいのである。
世間が求めているのは、権謀術数を使いこなす強いリーダー。安倍総理の支持率低下は、強いリーダーを求める世間の期待に応えられていないから。
だが、自分たちの出番だと張り切っている左翼の連中、本当に人の気持ちがわかっていない。
吉村大阪府知事の人気は、彼が非常に強そうに見えるからである。強いのであれば、企みを持っている人であっても、さほど気にしない。
なのに連中と来たら、知事の弁護士としての仕事の数々を、ここに来てあげつらっている。
あげつらいたい気持ちはわかる。だが、戦術としてはまったく信じられないな。
世間へのアピールの仕方としては、まるで間違っているし、逆効果。
世間に響く闘い方はひとつしかない。「吉村がいかに弱いか」をなんとかアピールすること。
小池都知事も同様。学歴詐称事件はもちろん黙殺していいものではない。それを理由に議員をやめさせられた人間もいる大問題。
でも、世間はそんな裏を秘めた知事に魅せられている。知事はタフだ。
小泉進次郎の人気急落は、彼が意外と弱かったからである。
山本太郎も、現在その動静が伝えられないことで、弱さを徐々にさらしてしまっている。
ちなみに松尾貴史についての、私の過去の記事。これは落語の批評。
この時点ではまだ、決してあげつらおうとして書いたものではない。だが今の言動から振り返ったとき、結構この人の本質を付いた内容だったのではないかと自画自賛している。よかったら。
テラスハウスみたいなリアリティ番組、左翼からすると噴飯ものであろう。
そりゃそうだろう。陰謀論を本気で信じているような連中が、テレビのやらせに騙されることはない。
なんであんなレベルの低い陰謀論を信じているか。世間のものの見方に従うぐらいなら、オカルトを信じるほうを選ぶ人だから。
だが、あの手の番組を一生懸命視て、本気でそこに描かれる人間関係にのめり込む、極めて騙されやすい視聴者の気持ちは、一生わからないのだ。
賢くなって早く気づけぐらいに思っている。
前置きがまた長くなった。もともと書きたかったことなものでスッキリしたのだが。
でも、テーマは笑点なのである。
笑点もまた、演出過多の番組である。
若者は視ないけど、あの番組にリアリティを求めて一生懸命視ている老人は多数いる。
これについて、続きます。