リアリティ番組としての笑点(中)

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リアリティ番組「テラスハウス」が、台本はないと標榜しつつ、その実ほぼすべてが演出であったという報道から、笑点を連想した。
笑点とは、こういう番組であると世間に認知されている。

  • シャレの利くベテラン噺家が、当意即妙に面白いことを言い合う番組
  • 笑点メンバーは、アドリブにとても強い

いっぽうでは、次の伝説もまた根強い。

  • あんなものはみな台本
  • 作家が全部こしらえていて、メンバーはそれを再現するだけ
  • 笑点メンバーは落語はみなヘタ

笑点ファンの年寄りたちは、この意見をぶつける人に対して闘うことがある。
最近は少ないだろうが、10年以上前の「Yahoo!知恵袋」あたりには、よくこんな、つまらん対立があった。
自分の信じる宗教の神さまをバカにされて立腹しているようなもの。ただまあ、宗教ならばもうちょっと、経典である落語も知って欲しいものだけど。

「あんなものは台本」と声高に言う人は笑点を視ない。だから、この意見は笑点だけでなく、無知な聴衆を上から嘲笑う性質のものでもあるのだ。
うっかりすると、落語ファンの中にもこんな意見がある。落語が上手いのは、小三治か立川流だけだなんてファン。
ただ、水曜のなつかし版で流れている時代の笑点を念頭に置いていうなら、必ずしも過激な意見ではなかったかもしれない。
なにしろあの頃の笑点メンバーは、落語協会の2名はキワモノ扱いの人、あとは司会を含めて、はぐれ噺家扱いされていた円楽党3人と、世間の評価がまだ十分でなかった芸協2名である。
落語ファンが、笑点メンバーと笑点ファンを軽蔑する土台があったのだ。
そして落語界自体にも、笑点を侮る土台があったはず。あの程度の奴らが地方営業で儲けられてなというヒガミ。
だが、メンバーは揃って出世した。今や司会の昇太師は芸協の会長で、再編成後の落語界の中枢を担うであろう人。
円楽師も、上方を含めた落語界牽引のキーマンである。
小遊三師は先日まで会長代行であり、好楽師も円楽党の会長だった。
たい平師も、落語協会の理事として、その地位を急速に上げていることがうかがえる。
「俺は笑点なんか視ない!」と勝手に宣言していた落語ファンにとっての笑点が20年以上経って、現実の落語界と完全にシンクロしてしまった。うろたえているファンもいるんじゃないか。

「笑点=ぜんぶ台本」説なんて、昨今のテレビバラエティを振り返ったとき、実に不毛。実に無意味。
台本があるのは当たり前。ない番組なんてない。
だが台本にもいろいろある。作家がすべて、メンバーのセリフを決めて書き込んでいる台本があると勝手に認識するからおかしいのだ。

と、ここまで私が自説を述べたところで「私の好きな笑点は、やっぱりヤラセなんかじゃないんだ!」と安心して喜んでいる人がいたら、それもまたおかしい。
そんなところで対立する意味がそもそもないと言いたくて、字数を費やしているのです。
テレビのバラエティは、裏方さんも出演者も、一緒になって番組を作り上げていくもの。そのことはみんな常識として持っているくせに、一緒に作り上げる部分を「ネタの台本」と理解するか、あるいは裏方を一切無視するか、いずれにしても、その狭い狭い視野よ。
視野の狭い人が、テラスハウスの視聴者をバカにすることはできない。

日ごろ落語を聴いて楽しんでいるファンも、「笑点は台本」と言うのは論理矛盾。
アンタは、演者がすべて作り上げた新作落語しか認めないのか? 古典落語、しかも小噺について「あんなもん人が考えたんだ」って言うのか?

笑点メンバーの定番ネタの中には、作家さんが作って「どうですか」と持ってきたものが、間違いなく多数あるのだろう。だが、それになんの問題があるの?
例として、小遊三師のために、泥棒ネタ、エロネタを充て書きしてきた作家さんがいれば、番組の盛り上がりに大きく貢献する。
台本あるなし問題においてどちらの立場にも決定的に欠けているのは、演者に対するリスペクトである。少なくとも落語ファンなら、決まったネタを笑いに持っていく話術の妙に着目して欲しいものだ。

昨日番組名を出したラジオの「ナイツのちゃきちゃき大放送」。冒頭の漫才には、作家がいる。これは秘密でも何でもなく、公式サイトに作者の名も出ている。
この漫才を聴くたび、私はいつも深く感心している。忙しいナイツに変わり、時事ネタをたっぷり盛り込んだ「いかにもナイツ」の漫才を作り上げているのだ。
裏方としての物書きの、理想形態だと思う。
あの漫才を作っている作家がいると今知った人は、今後ナイツのことを、「あんなもの台本なんだ」って軽蔑しますか?
漫才のオンエアで作家名が載る伝統は昔からあるから、それはさすがにないかもしれない。
でも、人が作った台本で演じる漫才はいいのに、誰かが作っているかもしれない笑点のギャグは気に食わない?

「上」とだいぶ関係ないネタになったぽいのですが、最終的にはつながります。はずです。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 以前破門の記事でコメントしました通りすがり改めうゑ村と言います

    笑点というと2つのステレオタイプが思い浮かびましたね。1つ目はこの記事にも書いてあるような「落語好きの笑点嫌い」です。この手の人たちは笑点を見下すことで気高さを保っているような感じもしますね。

    2つ目は「笑点(大喜利)を落語だと勘違いしている人」です。これも多分実在はするんでしょうけど1つ目の落語好きの笑点嫌いの人たちがあまりにうるさく騒ぐので笑点を見る人全員が「笑点を落語だと勘違いしている人」扱いされているようで少し引っかかる気もたまにしますね。

    個人的には落語を好きになる入口は自由でいいし笑点を悪だとも思ってもいませんが…

    1. うゑ村さん、通り過ぎないでコメントくださりありがとうございます。

      演者の話術にしっかり着目して視るなら、笑点は面白いです。
      大喜利にだって、話芸の粋が詰まっているではないですか。
      明日はこの番組をdisった四流の噺家をみじん切りにします。乞うご期待。

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