柳家花緑弟子の会5(下・柳家花いち「新しい隠居さん」)

仲入り休憩を挟んでお目当て、花いちさん。
この人のマクラはひと味ふた味違う。自虐なのだが、いやらしくないのだ。
安易な自虐については書いたことがある。私は、客に笑ってもらおうと安易な自虐に走る芸人が嫌いなのだ。腹の中では違うことを考えているくせに。
でも花いちさんの自虐はたまらなく好き。
この人の自虐は、人間としての成り立ちにまでさかのぼって発せられるのだ。
自虐が楽しい芸人というと「ぴろき」先生。だがぴろき先生の自虐は、外見や家族関係、頭脳程度などにとどまる、営業用自虐。
だが花いちさんのはもう、生まれてきてすみません的な。
本当は、かなりキツい自虐を披露しておきながら、ちゃんと客をくつろがせる、そのスキルにこそ感心すべきなのだろう。

この日も花いちさん、会場に最後に入ったら、後輩の緑太、圭花と、カフェのスタッフさんが4人で楽しくゲームをしている。
その場に混ざりたい(ゲームに参加しなくてもいいのだが、場の雰囲気に)気持ちがあるのに、近寄れない花いちさん。やっぱり育った環境がねと。
袖のカーテンが開いて、緑太さんが顔を出し「あれ4人用のゲームだったんですよ」。
いやわかってるんだけどと、先に話を進める。
小学校の頃を思い出しました。近所の友達が誕生会でみんな集まっているのに、ぼくだけ呼ばれなかったんですよ。みんなが楽しく外で遊んでるのを聞きながら、ぼくだけ積み木をいじってました。
袖から緑太さんが、「圭花、積み木買ってきて」。

それから、師匠・花緑は弟子全員に給付金を出してくれた(弟子多いのにさすが)。
お礼の電話を入れる花いちさん。その後、圭花とも電話をしたら、久々に師匠と電話をして、30分も喋っちゃいましたなんて言う。
え、俺3分だったけど。

花いちさんの開設したYou Tubeについても触れる。落語のマクラを振って、何の噺か当てるクイズを出していたが、やればやるほど登録者数が減っていったそうで。
私も視たが、本当、バカみたいな動画。

振り返ると一連のマクラ、なにが楽しいのかさっぱりわからない。現に楽しいのだから仕方ない。
今日はずっとうちにいたので作った新作を聴いてくださいと。
二刀流の花いちさん。古典も楽しいが、新作はさらに楽しい。
ネタおろしみたいなものだろう。演題はわからない。ツイッターに出てるのだけじゃ信用できないし。

(※ シブラクのサイトで判明しました。「新しい隠居さん」とのこと)

そういえば今、スカパーの無料放送で「東陽町演芸場」という、無観客の落語番組を流している。花いちさんも花緑一門として出演。
この番組で、私が初めて聞いて衝撃を覚えた花いちさんの噺、「アニバーサリー」が聴けて嬉しかったです。つまりこれが代表作ということなのだろう。

隠居のうちを訪ねてくる八っつぁん。古典落語の導入部じゃないか。
だが戸を叩き続けているうちに、「ドン・ドン・ダン」とリズムがついて、なぜかWe Will Rock Youになってしまう。
八五郎が無駄話をしにやってきましたよ隠居さん、開けてという歌詞付き。

そこにノリやのばあさん登場。隠居さんは10日前に亡くなったでしょと。
そうだったなと八っつぁん。

この、重度粗忽かつ認知の狂った八っつぁんが主人公。
家に帰り、かみさんと隠居の思い出話をする八っつぁん。
かみさんは、亭主との仲を隠居に相談し、「大事なもんを割っちまえ」とアドバイスを受けたことがある。
そして息子の名前「寿限無・・・」も隠居に付けてもらったと、古典落語を二作盛り込む。
スレた落語ファンはすでに大喜びだが、寄席ではやりづらいな。ネタ帳の外でツいてしまう。

道灌などでおなじみの、「粗茶」から「粗隠居」のくだりを再現する八っつぁん。これは二人の間の、毎度の約束ごとだったのだと。粗隠居のセリフは、隠居が構えて待っている。
爆笑が続く中で、私だけかもしれないのだが、隠居のことを楽しく語る八っつぁんに、グッとこみあげるものがある。
こんなにわけのわからない噺でもってな。
だが、私の一瞬の感動はすぐに裏切られる。八っつぁんはやはり認知がおかしく、隠居が亡くなった後新しく越してきた別の隠居の家に「隠居さーん」と遊びにいくのであった。
古典落語の「粗忽」のもう一段階上を行く、重度な八っつぁん。

一瞬の感動を返してくれと思った一方、噺のすばらしいつくりに驚嘆したのである。
新作たるもの、どこかで日常の枠組みを踏み外さないと面白くないのだ。それで失うものがあっても、得るもののほうが大きければいいじゃないか。
ステイホームはサゲだけに出てきた。まあ、今だけだろう。
サゲを変えて今後もやりそうだ。

しかしなんというか、花いちさんという人も、自分自身の認知の不確かさを日々実感している人なのだろうかと、自虐マクラから改めて思う。
それでいながら自分自身をちゃんと客観的に見ることができるので、ずれた視点のおかしな作品を多数作れるのだ。古典落語も相当に変だしな。

独演会に行きたいものだ。

(上)に戻る

 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。