クイツキ兼ヒザで上がったやまと師、トリの師匠がなにを掛けるのか聴いてから上がるのが普通で、もちろん聴いたのだが、左橋師も喋るのが久々らしく、なんて言ったのかわからなかったって。
やまと師は、柳家の典型的スタイルの粗忽長屋。
四の日寄席のトリは、初めて来た1年前と同様、左橋師。
昨年は「豊志賀の死」だった。1年って早いなとしみじみ。
左橋師、やまと師のようにオンライン落語会はやらないが、誘われて初めてオンライン飲み会をしたそうで。
飲み会のメンバーが、桂米多朗、桂竹丸、三遊亭好太郎の各師。協会をまたがる、不思議な組み合わせ。
噺家だけだと、みんなが喋りたがって大変だって。
2時間の予定が非常に盛り上がって伸びたと。主催者である米多朗師が、そろそろと声を掛けてお開きに。
竹の水仙のマクラとしてはつながりがやや強引かもしれない。ワザを持つ人というつながりでつなげたのだっけか?
さてこの本編、まったく初めて聴くスタイルで、驚いた。
本編の冒頭で左橋師、かつて甚五郎が竹の水仙を彫ったというワードを振ってから始めているのだけど、にも関わらず「ねずみ」にでも入るんじゃないかと思ったぐらい。
亡くなった国本武春の浪曲で、一度聴いたことのあるスタイルが、そういえばこうだったかも。いずれにせよ、浪曲か講談か、他ジャンルの竹の水仙から移植し直して仕立てた落語のようだ。
甚五郎もの自体、もともと釈ネタではある。しかし落語になって久しいわけだが。
工夫の余地というのは、実に大きいものだなと思う。
各ジャンルに、同じ噺の違うバージョンがあることで、このズレを最大限に活かそうという人もいるわけだ。
以下のごとく、一般的な竹の水仙とまるで違う。
- 宿はボロ宿ではなく、脇本宿。一見さんお断り。
- 主人公は甚五郎である。客にも冒頭から明らか。
- 急病で倒れた親子を助けるために、甚五郎は宿を(強引に)取る。
- 仲居にいきなり2分のチップを支払う、気前のいい甚五郎。でもからっけつ。
- 宿の主人は養子なので、おかみさんに頭が上がらないし、甚五郎にも見抜かれる。
- 甚五郎の彫り上げた竹の水仙を最初に求めてきた侍に、ひっぱたかれるシーンはない。ただし二度目は甚五郎の予言通り土下座して詫びている。
- 100両から200両に値段を上げるのは売り手ではなく、細川の殿さま自ら。甚五郎はこの展開まで予言している。
- 人を見た目で判断するなという、宿の主人への教訓が入っている。
もともと竹の水仙は、「抜け雀」と設定がよく似ている。
落語の竹の水仙は、変に抜け雀に寄ってしまっているのだろうか。
しかしこの左橋師のもの、抜け雀とまるで違う。宿が高級旅館だという違いがまず大きい。
そんな宿にどうして泊まりたいと思ったのかというと、困っている親子連れがいたから。おっかさんは病気。
一見さんお断りだという亭主に対し、二度目ならいいのだなと甚五郎、町内ぐるっと回ってきて、またやってくる。二度目なのでもう馴染みだなと。
とにかく人を食った甚五郎の魅力が満載。
そして無銭飲食が発覚しても、まったく動じない。いつも聴いている竹の水仙は、主人のほうから怪しい男を眺めるわけだが、このバージョンに関しては視点が終始甚五郎にある。
甚五郎がどう主人をあしらうか、そこが見どころになるのだ。
ただし、無駄にこの主人をやっつけたりはしないところはさすが落語。だんだんと甚五郎のペースに巻き込まれていく主人が楽しい。
実に楽しい一席で締めくくり。
月固定の落語会として、23日の「堀之内寄席」とともに、いつも頭に入れておきたい楽しい会。
帰りは都営三田線の西巣鴨に出ようと思い、何の気なしに都電の踏切を渡ったらそこが狭い路地で、まったく17号につながらない。
ダンジョンのような迷宮をさまよった。私は道に迷うのが趣味なので、とても楽しかったです。