国立演芸場8 その2(柳家さん遊「小言幸兵衛」下)

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さん遊という名前は、いかにもありそうで、誰も名乗ったことがないのだとさん遊師。
さすがに三遊亭の総帥、圓生に対して恐れ多かったのではないかと。
さん遊師は、前座のときに圓生にはかわいがってもらった。だから許してくれるんじゃないかだって。
「どうにもなんともこの、けしからんことで。てへへ」とモノマネ入り。

改名エピソードはたぶん、この芝居で毎日話しているのでしょう。
それから、コロナで仕事がなくなったので、1日中You Tubeを視ていたという話。
1日視ていたら、ばけべそ(おかみさん)に、「仕事行け!」と怒鳴られたと。仕事がないから視てるんだとさん遊師。
そんなマクラを15分ぐらい話し、「何の噺をしようか、今考えてるんですけど」。
長屋の大家の話に入る。二十四孝でも出るのかなと。めったに掛からないしトリネタでもないけど。
だが、「小言幸兵衛」だった。日本の話芸にも出たことがある、師の十八番であろう。

私の記憶にある、小燕枝師の小言幸兵衛からまた進化しているようだ。
さて小言幸兵衛という噺には、現代で掛けるにあたって多くの欠点がある。

  • 大家、幸兵衛はパワハラ
  • おまけに、子のない豆腐屋のかみさんに、別れちまえとセクハラ
  • なんで大家は入居志望者を追い返すのか、謎

若い噺家にはおすすめできない。おすすめする立場じゃないけど。
ともかく、噺を仕入れる手間とリターンとを勘案したとき、とても効率が悪い、いわゆる儲からない噺になりそう。
だが、そんな現代ならではのハンディをしょった噺を、ふわふわと語るさん遊師。
実に気持ちがいい。どうしてそんな語りが可能か。
それは、大家が語っている内容はしっかり小言だが、ムードとしてはまったくそうじゃないということ。
大家は言いっぱなし。小言を聴いて受け入れざるを得ない、ハラスメント被害者は、噺の中で描写されないのであった。
そして小言は一応は筋が通っている。だから、大家がブツブツ言うのを、適度に共感しながら聴くことができるのだ。

さすがに、孕まない女なんか離縁しちまえというセクハラ部分は、昔の客だって気持ちよくはスルーできないだろう。
でも、そこは豆腐屋がちゃんと啖呵を切って帰っていくので、リセットしてくれる。
啖呵には、いにしえのクスグリ「どてっ腹蹴破って汽車通すぞ」が入っている。これは川崎の柳好のものに入っていた、難工事で知られた丹那トンネル関連。

続いて、丁寧な仕立職人が部屋を借りにくる。
ここからが、まさにさん遊ワールド。他の人になかなか真似できない部分。
この職人、非常に丁寧な人間だが、実はかなり変わった人。大家幸兵衛の妄想(遊び)の腰を折ることができない、主体性のない人。
この仕立て屋を、なんとか面白く描こうとするのがごく普通。
だがさん遊師は、この仕立て屋に一切のアクセントを加えない。仕立て屋がたまに「私、まだ越してきてないんですけど」などとツッコミを入れたりはない。
最初から最後まで、逆らわないまま。それによって、夢と魔法の幸兵衛妄想ランドが出現するのだ。
発想が根本から異なるさん遊師。
「心中」というワードを冒頭に持ってきてわかりやすいアクセントにもしない。ごくゆるやかに、仕立て屋の息子と、長屋のお花が結ばれてしまい、親の反対によって心中するところへ話を持っていくのだ。
「お花の腹がせり出してくるな」「ははあ、脱腸で」(一般的には「食べ過ぎ」)などというとぼけたやり取りも、全然強調しない。
とにかく仕立て屋のほうに焦点を当てないのだ。

この魔法のような落語を、楽しめるほうの人間に入っていることを、私はとても嬉しく思うのです。

さん遊師の「小言幸兵衛」にだけ入っているのが、仕立て屋が帰った後の幸兵衛大家のセリフ。次々と入居希望者を追い出すのは、幸兵衛の楽しみなんだというくだり。
会話でもって、世間のことを知るのだと。
大好きなさん遊師の落語で、以前からこの噺のこの部分だけが、唯一納得いかなかった。私の嫌いな「説明過剰落語」の気配がして。

だがずっと楽しく聴き続けていて、ちょっと考えが変わった。
確かにマイナスもある。妄想を解説してしまうのなんて野暮だという。
だが今回、このプラスもわかった。次の通り。

  • 幸兵衛の説明自体、そもそも誰にも納得がいかないもの
  • 2人目を断ってからのセリフなので、次の3人目の入居希望者の前振りとして機能している

一応、幸兵衛の説明を客は聴くが、「なーるほど」とは思わない。
部屋を開けておいて、その部屋をネタに遊ぶ、そんな奴はいない。つまり、幸兵衛の妄想は果てしなく続いている。
そしてこの後、非常に乱暴な入居希望者がやってくる。
希望者どころか、勝手に荷物を運び入れていて、「ちんたな高いことぬかしやがったらただじゃおかねえからそう思え」。
こんなのに入居されるぐらいなら、仕立て屋のほうがずっとよかった。それが客の気持ちに沿うので、上手いことサゲで着地するのである。
結果的に、不条理大家がさらなる不条理に逆襲される格好になるのだ。
なるほど。小言幸兵衛という噺自体、仕立て屋で切ってしまうことが多い。
時間の関係よりも、3人目にすんなり続けづらいからなのだろう。
さん遊師、考え抜いた末に、3人目をスムーズに出す方法を考えたわけだ。
私は、その副作用のほうにだけ食いついてしまったのだ。まだまだ修業が足りません。

というわけで、実に結構な一席でありました。
さん遊師の芝居、もう1日行きたいぐらい。

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作成者: でっち定吉

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