「ほぼ」毎日更新「でっち定吉らくご日常」。
朝一番で記事がアップされていないということは、前日までにできていないということです。
いよいよネタがなくなったら休んでしまうけども、そういうときにはなにか思いつくもの。
遅ればせながら今日の記事です。
もともとCDを図書館で借りてきた、先代(8代目)三笑亭可楽について書くつもりでいた。
こちらは、ネタのないときまたいずれ出します。
先代可楽のプロフィールから、惣領弟子である三笑亭夢楽(2005年没)についても調べていた。
夢楽は、戦前の中国で「ヤギとまぐわった」伝説を持つ人。
ひと昔前は、この話もよく聴いた気がする。
夢楽の弟子は多く、三笑亭の本流のようになっている。
- 初代三笑亭夢丸(故人)
- 三笑亭夢太朗(現役)
- 三笑亭夢之助(廃業)
- 柳亭楽輔(現役:4代目柳亭痴楽の病気療養に伴い移籍)
- 三笑亭夢三四(故人)
夢之助師が実質廃業状態にあることを初めて知る。
芸術協会の香盤から名前が削除されているのだ。気づかなかったな。
芸協は、落語協会よりも事務処理がちゃんとしているという評判である。特に補助金などお金をめぐって。
落語協会の噺家がそう言うのだから、そうなのだろう。
だが芸協でも、「気が付くとこうなっている」ことは結構多い。
立川談幸師の香盤も、弟子の吉幸師が真打昇進した後、突然遡って決まっていた。
参考記事:立川談幸、いつの間にか香盤決定
まあ、脱退者についてのニュース、いちいちお知らせするような性質のものではないかもしれない。
これは落語協会もそうだ。
最近では当代三升家小勝とか、古今亭駿菊とか、脱退した人がいるがその都度のお知らせはない。
ちなみに芸協のほうにも、日本講談協会のほうにも、実質活動停止中の神田山陽先生の名前は残っている。
春風亭鯉枝師は、長いブランクから帰ってきてよかった。
しかし、三笑亭夢之助師といえばかなりの売れっ子だったわけで。TVにおいて。
かつて笑点のメンバーでもあった。
冒頭あいさつでもってスポンサー(龍角散)を怒らせてしまい降板になったとあるが、現代では考えられない。編集でカットすればいいだけの話で。
その後入ったのが林家九蔵(現・三遊亭好楽)であったという。
夢之助師、ピーク時はヨネスケ師より売れていたんじゃないかと思う。
そして、兄弟子の先代夢丸もそうだが、あるときからメディアの活動を控えて、落語の道に帰ってくる、そんな目標を持って実践しようとした噺家のひとりであったはず。
もっとも子供時代の私、夢之助師の高座をTVでよく聴いていたのに、ほぼ覚えていないのもまた事実。「つまらないな」と思った記憶もないから、楽しんだはずなのに。
古典も新作も聴いた気はする。
TVをやめて落語に専念したからといって、成功するとは限らない。それはもう、仕方のないこと。
落語界で、一切花開くことのないまま晩年を迎える人だって無数にいるのだ。TVで売れただけ才能があったのだ。
夢之助師の近況を調べようとしたが、何の情報もない。
芸協を脱退する前から長く高座には上がっていなかったようだから、ここ数年急に見なくなったわけでもないのである。
まだ71歳。噺家としては本来、脂の乗りきった時期のはずだが。
夢之助師の転機は、2007年。
悪いほうの転機である。地方興行で、手話通訳にクレームを付けたのが、大きく報道されたのであった。
このニュースは、ことあるごとに思い出さずにはいられない。
落語をはじめとする芸能と、障害者福祉が抵触した、恐らく最初の事例であった。
夢之助師ご本人には不本意であろうが、最初の事例としていつまでも名前が残る。