亀戸梅屋敷寄席2(三遊亭竜楽「替り目」)

西村  / 千早振る
らっ好 / ぞろぞろ
楽松  / 鹿政談
(仲入り)
神楽  / 新聞記事
竜楽  / 替り目(通し)

先週はハズレの寄席に遭遇してしまい悲惨な思いをしたのだが、これに懲りずに出かけます。
働き盛りのはずなのに、平日昼間に出掛け、シニア層に混じって落語を聴いてるところが私もなんだかな。
今日は亀戸梅屋敷寄席。私は今年始めて行って、早くも4回目である。
入場料は千円。安いけれど、時間が2時間程度であることを考えると、普通の値段という気もする。
まあ、短いのは悪いことではない。一日、落語だけ聴いて過ごすというわけにもなかなかいかないし。

この日は30人近くの大入りであった。もちろん、お年寄りばかり。夏に行った際は「つ離れ」していなかったのだが、涼しくなって皆さん息を吹き返したのだ。
亀戸、別にうちの近所ではない。今日のトリ、三遊亭竜楽師匠が聴きたいからわざわざ出向くのであります。
ちなみに、計4回のうちの3回がこの師匠のトリ。
私、別に円楽党のファンというわけでもないのだけど、竜楽師を聴きたくて今年は両国にも行った。
おかげで、円楽党のいろいろな噺家さんを知ることができた。今日の顔付けも、前座以外はすべて聴いたことがある噺家さん。
ただ、竜楽師以外に期待する人が顔付けされているわけではないので、竜楽師のデキ次第ではハズレの可能性もなくはないと思っていた。
ですが、これが大当たりでした。もちろん竜楽師も。
満足げに前座から振り返ることにする。日ごろあんまり前座に着目しないのであるが。

三遊亭西村「千早振る」

三遊亭西村。好楽師匠の弟子である。

今グッと売れてきている兄弟子、二ツ目の「とむ」さんと同じくお笑い芸人上がり。まあ、今や芸人上がりもたくさんいるので、特にどうとも思わない。
そんなことより西村さん(さん付けすると非常に変な名前)、落語が上手い。びっくりした。
前座で、たまに「ほお、上手いね」と、若干上目線で思う人はいる。ただそういう上手さというのは、二ツ目以上の噺家に求めるものとは次元が違い、「口がよく回る」であるとか「噺に工夫をしている」などという程度である。
ところが西村さん、落語自体のツボをすごく見極めて、心得ている。噺を変にいじるのではなくて、古典落語自体がもっともウケるやり方をちゃんと見出して喋るのである。
だからといって、そっくり先人の真似をしている態でもない。自分の肚で喋っているので、古典落語のクスグリでちゃんと客が笑うのである。
ほとんどの二ツ目の噺家より上手いんじゃないかと思った。「面白い」というより「達者だ」と褒められるタイプだろう。
といっても、もちろん十分に面白いです。寄席でたびたび聴く「千早振る」、それでしっかりウケを取るのは、下手な人にはできない技。

すばらしい高座でちょっとだけ気になったのが、「お前、(女乞食の千早に)おからあげるかい?」「いえ、あげませんね」というやり取り。
今や、ペットの小鳥にだって餌を「あげる」時代だから、考えてあえてこう変えているのかもしれないけども、ここはさすがに「やる」じゃないでしょうかね。
感覚的にどうしても「やる」を使いたくなかったら「渡す」とでも言い換えればいいんじゃないだろうか。
あと、全編にわたって面白い落語だったのに、先代小さんもこここそが噺の肝だと語っていた、「え、これ歌のわけですかい?」で笑いが起こらない。
ただ、彼はたぶんきっとこの部分を噺の肝だとみなしていないのだろう。だから、渾身の力をもってギャグを言い放つような並の前座の真似をしないで、サラッと喋っているのだと思う。

料金の内に入っていない前座から、普通に「落語」としての満足をもらうことなどめったにない。相当に得をした感じ。
お笑い芸人だったからって、即落語が上手いなんてことはない。
西村さん、将来が楽しみである。調子に乗り過ぎず精進していただきたい。調子に乗り過ぎずは余計なお世話だけど。

三遊亭らっ好「ぞろぞろ」

続いて二ツ目、らっ好さん。
1月にここ亀戸でお見かけしたときは、二ツ目に成り立てだった。
そのときはなんの噺だったか? 演目をブログに書かないでいるとさすがに忘れるが、ともかくなかなかいい印象を持っている。
童顔で、人を明るくさせる非常に得な顔。今日もなかなか面白い。
浅草の外れのロケーションを描写して、はやらない茶屋へと視点を移し、「ぞろぞろ」へ。
オヤと思ったのだが、江戸郊外ののんびりした風景描写が実にいい。落語協会の二ツ目さんからだって、こんな雰囲気はそうそう漂ってこない。

冒頭早々に、非常に落語らしいいい雰囲気が漂ってきて、あとはこの余韻でもって楽しく聴けた。
キャリアの浅い噺家は、ギャグでウケを取ればいいと思いがちだが、そうではないのだ。まず落語としてきちんと成り立たせるのは、結構難しい。
らっ好さんは好太郎師の弟子なので、好楽師の孫弟子である。
いやあ、冒頭からヒット連発の好楽一門は侮れませんね。いまや、ひそかな名門として売り出し中のようだ。
落語協会のさん喬一門、一朝一門などを見ればわかるが、弟子が多くてかつ大変に売れてる弟子がいる一門からは、必ずまた次のホープが出てくるものである。

三遊亭楽松「鹿政談」

続いて楽松師。この人は両国でお見かけした。お爺さんのようで、実はまだ若い。白鳥師や喬太郎師よりひとつ若いのだが、見た目十は上である。
先代金原亭馬生などもそんな噺家だったと思うのだが、早めの老成を意識しているのだろうか。
この日は固い噺の筆頭、「鹿政談」。圓生からずっと来ているんでしょうね。
うん、固いのがとてもいい感じ。前回聴いた、柔らかい噺筆頭の「宮戸川」よりずっと合っていると思う。
噺がきっちり固くできていて適度な緊迫感があるからこそ、ところどころで勝手にクスっとさせられるのである。
鹿政談という噺、若手の頃からやりたがる人が結構いるみたいだが、地噺っぽいところもあるので難しいと思う。
この楽松師の老成したスタイルが好きだ。まずお奉行さまがカチッとしていないと。

三遊亭神楽「新聞記事」

仲入りを挟んで神楽師。この人も1月以来で、そのときも竜楽師のヒザだった。青森県出身の噺家に最近よく出逢う気がするが、たまたまか。
入れ事の多い「新聞記事」。なんだかバカ受けしていた。
この日の客、年齢層が高いわりにはスレたファンは少ないようで、よく笑う。後ろの席の婆さんたちが終始会話してるのは嫌だったが。
ちょっとギャグ入れ過ぎじゃないかと思ったけど。でも、入れていかないと三遊亭歌之介師みたいにはなれないわけで。
八っつぁんが、天ぷら屋の竹さんが殺された話を最初にしにいく相手が、当人の竹さんだったのが昔の型で珍しい。

三遊亭竜楽「替り目」

そしてお目当て竜楽師。
頭をいつもきれいに刈り込んでいる師匠だが、今日は特に短い。
酒のマクラから。今日は海外公演の話は一切なしで、ごく普通の「ニワトリ上戸」やら「薬上戸」やらのマクラ。
しかし、ありきたりのマクラがやたらと楽しい。
もっぱら古典落語を掛ける師匠で、ありきたりのマクラが楽しい師匠はもちろんいる。だがそういう師匠のマクラ、楽しみながらいっぽうで「ありきたりのマクラだな」という感想は持つ。
だが、竜楽師については、そういうことを一切感じないのは不思議だ。あとで振り返って、そういえばありきたりなマクラだなという程度の印象。
引出しの実に多い師匠である。
とにかくこの師匠の出す波長は気持ちがいい。だから何の話でも楽しい。

酒のマクラなので、前回聴いた「猫の災難」でなければいいのだがと思ったが、竜楽師の亀戸への登場も私の聴いた8月以来であるから、それはないか。
酔っ払いと人力車が出てきて、「替り目」。トリで掛けるということは、あまり聴く機会のない、通しの「替り目」であろう。
替り目という噺、演題のゆえんは通しでサゲまで聴かないとわからない。にもかかわらず、ほとんど途中でカットされてしまう噺。この点、「真田小僧」や「宮戸川」と同じ。
おかみさんに対するひそかな感謝を聞かれてしまうサゲがあまりにも見事にできているので、楽しいその先がまだあるのにほぼカットされてしまう、ある種不遇な噺でもある。
しまいまでやると立派なトリネタ。今日は最後まで聴けるぞと期待いっぱい。

「替り目」は隅々までよくできた噺で実に楽しい。
寄席でもよくかかる演目で、女性にも人気だ。寄席で掛かるのは通常、亭主の独白までだが、冒頭の人力車の場面を縮めればさらに短くできる。時間調整にも重宝する噺。
しかしながら、先人の型の「替り目」は、現代視点からするとしっくりこないところがある。
男尊女卑の世の中で、女に頼っている亭主の本音が酒の力でつい出てしまう噺。
おかみさんのほうは一人前の人格を持っているのではなく、亭主のわがままに応えてくれる昔の女性。酔っ払い亭主の姿を映し出す鏡に過ぎないように感じる。
まあ、落語ってそんなもんだといえばそんなもの。ただ、昔の風俗を知るためありがたく聴くような芸能ではないので、時代に合わなくなれば滅びてしまいかねない。
だが竜楽師のもの、このおかみさんの主体的な性格がよく表れていて、先人たちよりずっといい。これは、替り目に限らず竜楽師の落語の大きな特徴でもある。
このカミさん、酔っ払い亭主の世話を義務としてこなしている人ではない。「亭主の面白い話を聴くのが好き」なのだ。さらにいうなら、「面白いことを言って自分を楽しませてくれる亭主が好き」らしい。
亭主と同様、カミさんもそんなこと口には出さないけど、しっかりそういう気持ちが伝わってくる。
決して、無理難題を言う亭主に困り切っている人ではない。コミュニケーションを楽しみながら亭主の面倒をみている。
噺の構造自体はまったく変えず、クスグリも特にいじっていないのに、現代社会に感性がマッチングした見事な替り目。夫婦っていいものだなと思う。
ポピュラーなこの噺から、そんな雰囲気を感じたことなど今まで一度もない。
私は竜楽師のことを、母性と父性との両方を兼ね備えた噺家だと思っている。このおかみさんには、竜楽師のニンである、母性がにじみ出ているように思う。

通常寄席で掛かる前半部分で、すでに通常と次元の異なる楽しさに溢れた噺を聴かせてもらった。
カミさんに対する感謝の独白を聴かれ、「元帳見られちまった」。ここでサゲる通常のケースだと、好楽師など志ん生ゆかりの「元帳」という演題でやるみたいだ。まあ、確かに「替り目」ではなんのことやらわからない。
前半でしっかり楽しく、立派なオチもついているので、この先を続けるのは簡単なことではない。それでもスッと先を続ける竜楽師。

おかみさんがおでんを買いにいってひとりになり、酒の燗をしたいが火がないので、通りがかったうどん屋をつかまえる。
うどん屋をからかいながら、ずうずうしく酒の燗をしてもらう亭主。海苔まで炙ってもらう。
結局うどんは頼まないので、店主は怒って啖呵を切って去っていく。
帰ってきたおかみさんが気の毒がって、あたしがうどんを頼もうとうどん屋を呼び止めるが、うどん屋「あそこのうちはいけねえ、そろそろお銚子の替り目でしょう」。
「うどん屋」っぽいシーンだが、噺の視点は亭主の方にある。
竜楽師の酔っ払い亭主、ひどいことしてるわりに嫌味がない。うどん屋も結構気の毒だけど、悲惨さなどはまったくない。
そして、燗を付けてもらって一杯やる亭主、とても旨そうで幸せそう。もちろん、「上手く飲んでやれ」というようなケレンの芸ではなくて、心底おいしそう。
私も飲みたくなったもの。

後半も見事であるがゆえに、かえって替り目が、後半まで続けてやり辛い理由がちょっとわかった気がする。
落語というもの、コミュニケーションギャップというものがひとつのキーになる。会話の噛み合わないおかしさである。
酔っ払いは、もともと素面の人との間で会話がすれ違うので、これがおかしさを生む。
冒頭の、人力車夫とのやり取りがまさにこれ。
その後の、帰宅してのおかみさんとのやり取りに場面が移ると、今度は逆にコミュニケーションが収斂していく。今度は、酔っ払いなのに妙に会話が成り立つのがおかしさになる。
その後、後半に移ると今度はまたコミュニケーションギャップの噺になる。相手は屋台のうどん屋である。
竜楽師の「替り目」、おかみさんと亭主との、一体感が実にすばらしい。そうすると、一般的な替り目よりも、さらに後半に続けづらくなるわけだ。
もちろん、竜楽師の替り目では、そのギャップは細心の注意を払ってスムーズにしてある。

もしかすると、車夫からうどん屋に続けてしまうという構成も成り立つのではなかろうか。コミュニケーションギャップの相手が変わるだけなので面白いかも。
真ん中を短めにして後半に続け、最後うどん屋を気の毒がって、食べに行こうとするおかみさんに向かって、亭主が独白をこぼしそれを聴かれてしまうとすれば、噺の構成としては大団円では。
まあ、竜楽師にやっていただきたいとは別に思わないけど、噺に工夫をしようと腐心している二ツ目さん、いかがでしょうか。

話がそれた。
竜楽師の通しの「替り目」、噺の根本的なハンデをもろともしない傑作でありました。

そして、今まで訪れた中でベストの亀戸梅屋敷寄席でした。
円楽党、聴かずに侮っちゃいけませんよ。侮ってませんかそうですか。
両国・亀戸あたりにお住まいの方は、円楽党で落語デビューしたっていいと思う。

今年4席聴いたが、外れ知らずの竜楽師。どんなネタからでも楽しいモードを生み出せる師匠は、スベリとは無縁である。
11月の国立演芸場の一門会、最終日の主任が竜楽師。すでにチケットを買った。
寄席をメインにしている私、ホール落語のチケットを事前に買っておくのは、極めてまれなことである。
ちなみに、いつも広告貼っているが、竜楽師のCDは1~3全部買った。Amazonのダウンロードともどもよく聴いてます。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。