仲入り休憩を挟み、トリは柳家小んぶさん。
自粛太りなんだと。
大変背の高い人だが、確かにちょっと下腹が出ている。
どんな状況でも太れますだって。
夏はもうすぐ終わり。
先にはな平さんが幽霊の噺を出したが、私もやりたいんですと。
寄席では「ツく」のはご法度だが、この会は次は10月、もうできないのでさせてください。
似たような噺なんです。いえ、本当に同じ噺じゃないですけどね、なんなら同じ噺しましょうかと。
お菊の皿に似た噺というと、応挙の幽霊だろうか。
小んぶさんが似てる噺と言ったのは、臆病源兵衛だった。
別に似てないと思う。ツくかどうかでいうと、寄席の仲入りがお菊の皿で、トリが臆病源兵衛なら、ギリセーフな気がする。ダメかな。
いずれにしても、好きな噺なので、ノープロブレム。
この珍しい噺は、明白に古今亭・金原亭の噺だと思う。
昨年は江戸東京博物館で、隅田川馬石師から聴いた。その前は金原亭馬久さんから聴いている。
柳家の人もやるのだな。
小んぶさんの師匠・さん喬師も、圓菊から教わった多くの古今亭の噺を持っている人。その影響なのだろうか。
ちなみにもし、師匠が臆病源兵衛持っていたとしても、直接は稽古をつけないはず。
本家に習いに行けというだろう。だから雲助師や、馬生師などに教わるのかもしれない。
昨年の馬石師のもの、この大人の噺を多くの小学生が聴いて大笑いしていたのを思いだす。
やたら臆病なのに、すごいスケベの源兵衛が、子供たちによく響くのだ。落語っていいよねと思った。
小んぶさんの臆病源兵衛も、とても楽しかった。会のトリにふさわしい一品。
まず、闇の怖い源兵衛をしっかりと描写する。昔の人がそんなに闇を恐れるだろうかという疑問を、人間の本質から描いていって飲み込ませてしまうのが見事。
その結果、マンガみたいな臆病ぶりが、なんだか腑に落ちる源兵衛ができあがる。
小んぶさんが源兵衛の臆病ぶりをよく理解しているので、客にも伝わるのだ。
そして、臆病をスケベが上回る源兵衛。これもなんとなく腑に落ちてしまうからすごい。
アニイの家で源兵衛が食べさせてもらう、鯉の洗いがおいしそう。
今から騙されようという源兵衛だが、いいものを食わせて飲ませてもらってはいるのだ。
臆病な源兵衛が、うっかり八っつぁんを殴り殺してしまう。
死人が出たら客だっていやだと思うが、そこから八っつぁんが息を吹き返すまでをコンパクトに詰めていていたく感心した。
珍しいこの噺に急展開が訪れ、客が戸惑っているうちに、実は死んでいなかった事実を出す。
本当に死んでしまってからも、先日上方のしん吉さんから聴いた「算段の平兵衛」みたいに死体をあっちゃこっちゃと動かして楽しませることは可能なのだが、ハードルがかなり上がる。
集団催眠劇である落語とは、客の心理も想像して描かないとならないものなのだ。
ちなみに、八っつぁんの死体は、源兵衛がひとりで捨てに行かされていた。
息を吹き返した八っつぁんのドタバタは、柳家っぽい。
ここからすれ違いコントみたいなネタがサゲまで続くのである。安心して楽しめる内容。
サゲに出てくる老婆の描写がすばらしい。上半身裸で、絞めた軍鶏の皮を豪快にむしっている。
ここが地獄か極楽か、わからずさまよっている八っつぁんの前にこんなものが現れたら、もうそれだけでたまらなくおかしい。
小んぶさん、見事でした。
さん喬一門の人は、世間が気付くより先に出世する印象を持っている。
来春に5人の新真打が出るが、小んぶさんはその次の順番。
香盤順だと、志ん吉、小んぶ、緑君、花いちとなる。そのあとが美るく、ぴっかり、八ゑ馬、はな平と続く。
みな同期なのでどこで切るか難しいが、緑君、花いちの同時昇進は間違いない。
今までたまたま縁の薄かった小んぶさんも、真打昇進までにもっと数を聴いて備えたいものだ。
終演のあと、本来だと先のふたりも出てくるのだろうが、お見送りはない。
小んぶさんの挨拶でおしまい。もしかすると、密を避けるため先に帰ってしまっているかも。
実に楽しい会でした。
いつも月曜夜7時という行きづらい時間帯のようだが、また参加したい。