一見、最近の世間から広く賛同を得られそうな前座の楽屋改革における、魂のなさを糾弾した遊馬師。
そもそも、寄席の文化は強い。
立川流がかつて寄席を否定してみせたものの、今となっては寄席の完勝であるな。
当時の知見において間違っていたかどうか、それは問題ではないと思う。今になってみて、寄席のシステムがいかに強かったのかが改めてわかるということなのだ。
さて遊馬師は、お寺の小噺に入る。
初めて聴いた小噺。
珍念が昼寝を「修行が足らん」とがめられ、和尚に「でも和尚も時々居眠りされてます」と反論する。
和尚は動じず、「わしほどの者になると、夢でお釈迦さまからありがたい話を聴いているのじゃ」。
珍念、また昼寝を和尚にとがめられたが今度は動じない。「私も夢でお釈迦さまから話を聴いていました」。
和尚が夢の内容を問うと、「お前のところの和尚とわしは話したことがない」。
「夢の酒」っぽいところのある楽しい小噺。転失気の前にしか振れなさそうだが、通常、転失気はマクラを付けてまでたっぷりやる噺ではない。
ずいぶんゆっくりした一席。転失気なのに。
開演からマクラが15分あり、この噺本編だけで25分ぐらい。前座噺と思えないぐらい長い。
なのに、知らないシーンが入っているわけではないのだ。珍念が転失気を借りにいくのは花屋だけだし。
遊馬師、もうやめたブログでもしばしば「時間が守れない」と自虐を吐いていた。
どういうことかというと、15分、20分と時間を決めて噺を編集していないのだろう。
この転失気も、探りながら進めているみたいだ。きっと、毎回全然違うのだと思う。
遊馬師、たぶん稽古も普段から、あまりしていないと思う。
噺家に過剰な尊敬を抱く人は多い。こういう素人は、噺家さんは一生懸命ひとりで稽古をするものだと思っている。
だが、稽古しないスタイルもあるのだ。自分の中にかつて蓄えた噺を、毎回毎回、高座で絞り出していくような人。
先代金原亭馬生がこうだったという。この人は、自覚的に稽古をしていなかったようである。稽古すると、毎回同じになってしまいかねないから。
遊馬師もたぶんそう。「馬」のつく噺家だから、三遊亭でも馬派のエッセンスが流れ込んでいるのかもしれない。
稽古をしないなんてとんでもない?
私の好きな番組「球辞苑」において、桑田真澄が語っていた内容を思い出す。
桑田氏といえば、投手でありながら屈指の打者でもあった。「9番打者」の回において、その秘訣を語っていたのだ。
なにも打撃練習に時間を割く必要などないのだと。
キャッチボールの際、「グラブの芯でボールを受ける」と、日ごろからきちんと意識しておくだけでいいのだ。
基本ができている人なら、打撃もまったく一緒なんだと。
さらにいうなら、ゴールデングラブ賞の常連であった、守備も同様なんだと。
このエピソードにいたく感動したものです。
とはいうものの、さすがにちょっと長かったなという感想です。
先代馬生のお客さんにとっても、当たり外れがあったはず。当たりがCDで後世に残るが。
一席終わってそのまま遊馬師、もう一席やって仲入り休憩ですと。
安中榛名駅の話。新幹線のこの駅は、一日の乗降客が12人。コンビニが撤退したぐらいで、駅前にはなにもない。
一度だけこちらの落語会の仕事があったそうだ。
ちなみに、Wikipediaによると1日の乗降客数は284人(2019年)。どこから出てきた数字なんだ。
そして遊馬師、「東北新幹線」って言ってた。上州だから東北新幹線のはずはない。北陸新幹線の駅である。
別に安中榛名をそれ以上ふくらませるわけではなくて、単に安中が舞台の噺のフリだった。
蒟蒻問答である。
うーん、個人的にあまり好きな噺ではない。単にいいものを聴いたことがないだけかもしれないけど。
蒟蒻問答も、また長い。35分ぐらいだったか。
ちなみに、数のそうそうないお寺の噺を続けてするとは。
転失気も、前座だけでなく二ツ目、真打もよく掛けるので聴き飽きているし、蒟蒻問答もあまり好きでない。
残念だが、今日は外れかなとちょっと思う。
もちろん、噺の好き嫌いは人それぞれ。転失気だって、人気があるからよく掛かるのである。
巡り合わせばかりは仕方ないこと。それは受け入れないと。
そして蒟蒻問答についても、長くなってしまうらしい遊馬師。
だが、この噺のクライマックスに、素晴らしい場面があった。