三遊亭遊馬のツキイチ落語会(下・「井戸の茶碗」)

藁人形/井戸の茶碗

妙に長い蒟蒻問答だが、感動した場面が。
前回、浅草で聴いた遊馬師の「かぼちゃ屋」において、「画が見える」ことにいたく感銘を受けた。
蒟蒻問答で、蒟蒻屋の親方が坊主に化けて登場するシーンで、またしても画が見えた。
ボロ寺でボロ衣装。しかし結構「ドーン」という感じで偽和尚が画像として現れた。
今回については、画が見える秘訣はほぼ完全に把握できた。把握することが目的ではないけれど、こんな感じ。

  • 払子(ほっす・坊主の振る、房のついたもの)を、便所から振りながら持ってくる
  • 坊主の被る頭巾(帽子・もうす)を扇子で絵として先に見せている
  • そこまで準備ができてから、あとは言葉で一気に説明する

そうすると、客の脳みその思わぬ部分が活動し、「仏像の前に構える住職」が脳内に映し出されるのである。
しかもこの画、上から下へゆっくりパンしていったからすごい。
丁寧な描写の成果である。
これは実に大きな収穫。

仲入り休憩後、もう一席。
まずは仲入りで帰ってしまった親子の話題から。
お子さん、頑張って聴いてくれてたんですがねと。子供の大好きな屁の噺も、さすがに長すぎたか。
蒟蒻問答になるともう、子供の喜ぶシーンなどどこにもない。
お母さんも、遊馬師の「こども落語」で喜んでいた坊やを、連れてきたのかもしれないけど。

江戸時代のリサイクル業、くず屋の話から。井戸の茶碗である。
一度聴いたことがあった。どこでだろう。
聴きながら思い出す。現場でではなくて、TVだ。
帰ってから調べたら、2016年の「柳家喬太郎のイレブン寄席」である。TVで出すのは自信のある噺に決まっている。
この一席が気に入り、当ブログで取り上げようかと思って、たぶん2018年ごろに何度も聴き返していたのである。
一席の落語を繰り返して聞くと、新たな発見があって楽しいもの。ただし、次に現場で遭遇したときに、新鮮味が失せてしまっているというマイナスは間違いなくある。
だが今回、そんなことをまったく思わないのはなぜか。
TVで聴いたものと結構違うからだ。遊馬師の場合、ここ4年で演出を変えたのではなく、毎回違うのだろうと思われる。理由は昨日書いた。
ただし、蒟蒻問答よりはずっと肚に入っているらしい。前の2席と違い、間延びする部分が皆無。
マイナス部分がまったくなくて、実に心地いい。
井戸の茶碗は、人情噺であり、誰の目から見ても「いい噺」。
これがストレートにこちらに染み入ってくるではないか。
遊馬師は本来、若手がやらかしてしまうように、覚えたクスグリを丁寧に全部入れていくような芸ではない。
若手のこういう高座を、私は「スタンプカード芸」と呼ぶことにした。クスグリ1個入れるごとに脳内でスタンプを押していく。カードをスタンプで埋め尽くすと演者は安心なのだが、客が聴きたいのはそういうものじゃない。
井戸の茶碗についても、遊馬師はむしろ省略が多い。
清正公で集まるくず屋たちが、さむらいの仇討の件で盛り上げる場面は完全カット。ここって最大のウケどころかと思ってたが。
まさかうっかりしたわけじゃあるまいな。遊馬師がうっかりするところもたびたび目にしているので。
でも、意図的だと思う。この前の、くず屋の面体改めのくだりも短かったから。
面体改めが短いのは、よくわかる。この部分を「これからは煙草を吸って歩け。けむが出たほうが表だ」などとギャグたっぷりにやると、気性のさっぱりした若ざむらい、高木さまが嫌なやつになってしまうではないか。
だが、仇討もないところをみると、遊馬師の目的はちょっと違うようだ。師は、くず屋の清兵衛さんから話題をそらしたくないのではないか。
清兵衛さんは通常、狂言回し。でも遊馬師は、ここに焦点を当てたいのではないか。
それにより、二人のさむらいの気性がよく見えてくる。

他にも興味深いシーンが多い。
長屋の大家が高木さまに話を付けたあと、清兵衛さんが20両持って千代田卜斎宅を訪れ、「だいぶ減りましたがこういうことで」と話している。
そうか。噺の時系列を緻密に考えたら、こうなのだ。すでに減ったおカネを持っていくことになるのだ。
普通はこんなシーンはぼやかしてしまう。効果のほどはよくわからないが、とにかく私の胸に刻まれたシーン。

この噺は本当に遊馬師のニンに合っているのだなと。
高木さまと千代田卜斎、そして清兵衛さん、この3人が本気で困っているさまが、やたらおかしいのだ。
3人とも、カネに頓着しない人間なのは確かだ。だが、「もらえばみんなが助かる」という状況において、金を受け取らないのに固執するのもなかなかしんどい。
ますます困り切っているその姿をしっかり、しかしさりげなく描写する。

遊馬師オリジナルギャグは一応ある。高木さまのところで、刀ではなく一度目は鎖ガマ、二度目は吹き矢で脅されるという。
でも、こんなクスグリ、実にささやかだ。

井戸の茶碗がよかったので、実に気持ちよく江戸博を後にする。
前二席の微妙なマイナスを取り返してあまりある。
この会のスタンプカードももらったし、また来たいものだ。

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柳田格之進/井戸の茶碗

作成者: でっち定吉

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