池袋演芸場23 その4(柳家小せん「ねずみ」)

ヒザは楽一師。以前はバックライト付きで見せていたが、一般的な紙切りスタイルになっている。
緩い紙切りはとても楽しく、寄席のヒザに最適。そしていつの間にか客席を支配してしまう。
彦いち師がマクラで振っていた「熊殺し」がお題に出て爆笑。
楽一師の紙切りは、動きがあっていいですね。

3時間の池袋下席、トリは柳家小せん師。もっともっと聴きたい師匠である。
客席を急速にくつろがせる、その柔らかさ、しなやかさ。
昔は歩いて旅をして、いろいろな苦難に遭いましたと。小間物屋政談でもやるのかなと思ったら、舞台は仙台。ということは、ねずみ。

小せん師は大好きだが、ねずみという噺はそうでもないなと。
それほど好きじゃない理由は説明可能。
宿場一番の宿屋、虎屋を追い出されたねずみ屋の亭主は左甚五郎のおかげで無事復活する。
でも別に、スカッとする復讐譚でもない。甚五郎の彫った不思議なねずみが、動いて止まってという噺である。
テーマがどこにあるのかよくわからない。
人情噺で釈ネタで、なのにわりとしょうもないサゲがついている。しょうもないが、このサゲ以外を付けることなど考えられない、大事なサゲ。
つくづく変な噺。
まあ、落語なんてそんなものだけど。
だが小せん師のねずみ、一筋縄ではいかない。すばらしいデキであった。
なのだが、その感動を他人に伝えようとすると、自分の中に言葉がなくて困る。
ファンタジックな楽しい世界が浮かび上がってくる逸品だったのだけども。
ただ、まずい噺がどういうものかを想像してみると、たちどころに小せん師のすばらしさが浮かび上がってきたりする。
とにかくバランスのいい落語。

ねずみという噺、整理してしまうと味もそっけもない。こんな。

  1. 甚五郎、先代で客引きの坊やに会う
  2. 甚五郎が到着しても、腰が抜けているので世話のできないねずみ屋の主人
  3. ねずみ屋の主人の語る、虎屋とねずみ屋の因縁
  4. 甚五郎、ねずみを彫る
  5. 甚五郎のねずみが動き、先代の名物に
  6. 虎屋没落。飯田丹下に虎の彫り物を依頼
  7. ねずみが動かなくなる
  8. ねずみ屋の主人、復活
  9. 甚五郎、仙台を再訪
  10. 「虎ですかい。猫かと思った」

3と5が人情噺の根幹。そして超人甚五郎の活躍が4。
なんだというサゲに向かう中、間隙を楽しいクスグリで埋めていくのだが、噺のムード的にそこまで埋まりはしない。
ではしみじみと人情が漂うかというと、別にそれほどでもないという。
伝説が現実に紛れ込んでくる、ちょっとしたファンタジーだというのが噺の根幹。

仙台宿で坊やの客引きに引っかかる甚五郎。冒頭では誰だかわからない。
坊やは一生懸命で悪い子ではないのだが、子供だけに失礼な言動が多い。
もちろんそれは罪のない笑いになるし、甚五郎の人間の大きさをも物語る。
家族の寿司を一緒に頼む坊やに甚五郎は「行き届いてるね」。

このやり取りを聴きながら、私は最近のお笑いに漂う「優しいツッコミ」を連想したのだ。もちろん、元祖は落語のほう。
落語の優しさが、世間に浸透してきたのでは。
つまり、ぺこぱだ。

坊や「おいらも寿司が好きだから頼むね
甚五郎「お前のか! いや、一緒に食べたっていい。子供は国の宝だ。大人たちが目を掛けてやらなくちゃいけない

みたいな。
ともかく、子供の無邪気で失礼な言動も、全部飲み込んでしまう甚五郎。

これ以外、ギャグも入れづらいこの噺を、小せん師はどう料理をするか。
ねずみ屋の主人の「腰が立たない」を繰り返しアクセントにするのである。
よくもまあ、この地味な噺に、こんなアクセントを盛り込んだものだ。この工夫もまた地味なのだけど、じわじわ来ます。
「腹は立ったが腰は立たない」「めどは立ったが腰は立たない」と、こんなフレーズを繰り返し入れて主人、「笑ってもよろしいのですよ」。

無理にここ以外にアクセントをつけることはできない。
どこまでも(一見)地味な小せん師。だが、そんなところに宝が隠れているのです。

しみじみ幸せな気持ちで寄席を後にしました。
これが小せん師なんだよな。

その1に戻る

 

茄子娘/ねずみ

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。