池袋演芸場23 その3(橘家文蔵「手紙無筆」)

柳家小満ん「締め込み」

仲入りは柳家小満ん師。私はなんと3年振りである。不思議だが。
自分自身のマクラを語らない、最後の世代の人だろう。
泥棒小噺4連発。「足の速い泥棒」「○番番頭縛り」「仁王」「鯉が高い」。
久々に、泥棒小噺まとめて聴いた。しかしベテランが語ると面白いからすごい。仁王まで面白い。
締め込みも、最近あまり聴かない気がする。私好きなんだけども。うんでば。
泥棒噺のトレンドは、「鈴ヶ森」と「だくだく」に移ってしまった気がする。夏だと夏泥があるが。
人のいい泥棒だが、湯を浴びてやむなく仲裁に出てくるというあたりの流れに、なんとなくそぐわないものがあるのかなと考える。
締め込みという噺、なお高い価値があるのは人情の部分であろう。
だが、小満ん師らしく非常にあっさり。それが素晴らしい。
サゲも軽い。これをご縁にちょくちょくで下げてしまうので、「締め込み」の示すところまで行かない。
仲入りだと「転宅」などであればズシリと締まるのだろうが、でも軽いのもいいのでは。

春風亭正太郎「湯屋番」

仲入り休憩後のクイツキは、春風亭正太郎さんから。来春の春風亭柳枝襲名が決まっている人。
池袋はよくクイツキに、イキのいい二ツ目を抜擢する。
そしてこの日も短い番組に二ツ目が3人。それは全然気にならない。
つまらない真打より、期待の二ツ目を顔付けするのが池袋の強いこだわり。その分、まるで顔付けされない真打も多い。
小さい寄席だが、池袋に出られてこそ一流の噺家なのだ。特に落語協会ではそう。

正太郎さんは1年半ぶり。前回、池上の久松温泉という銭湯で聴いた。
この銭湯、長きにわたり改装中で落語会もお休み中。
甲子園小噺(甲子園に行くにはどうすればいいのか)。元ネタはカーネギーホール小噺でしょうか。
若旦那を出してきて、湯屋番。居候先のかみさんとのくだりのない、短いバージョン。
演じていて正太郎さん、非常に楽しそう。本当に楽しいのだと思う。
そしてこの躁病の若旦那の噺を、ギリギリのところで突き抜けないバランスの良さがすばらしい。

橘家文蔵「手紙無筆」

快調に進む池袋、早くもヒザ前で橘家文蔵師。
池袋の文蔵師は実に頼りになる人だが、この出番だけどうも。
ヒザ前はトリを立てる立場だから、目立たない軽い噺が望まれる。だがああ見えて神経細やかな文蔵師、本当に軽くやるのである。
同じ一門でも、圓太郎師や彦いち師は、ヒザ前でも意外となにかしら付け加えてくるのだけど。
ネタ数の少ない文蔵師、ヒザ前は「目薬」か「手紙無筆」という印象。やっぱりの手紙無筆。
個人的な好みだが、まず手紙無筆自体がそんなに好きじゃない。
そもそも江戸時代の識字率は圧倒的に高かったわけで、まるで読めない人なんてフィクションの存在だと思う。そのあたりに違和感が残ってしまう。
噺に文句言っても仕方ないけど。
それから、暴力的なアニイという文蔵師の造形はいいとして、自分も無筆なくせに八っつぁんをちょっと嗤いすぎじゃないの?
と思っていたら、そうじゃなかった。
常に噺を動かしている文蔵師は、客が聴いてちょっとなと思う傷を先刻承知しているのである。
今回聴いたアニイは、暴力は内に秘めているものの露骨ではない。そして、無筆を嗤うために隣のおばさんを呼んできたりしない。
そして千早ふるのように、アニイは自然に外堀を埋められていき、読まざるを得ないかたちに持っていかれる。一連の流れがよりスムーズになっている。
千早ふると同様、アニイは言いわけをする際には「というわけなのだよ」と不自然な言葉遣いになる。

さすがの文蔵師であります。満足しました。
今回新たに感じたのが、アニイに対する八っつぁんの立ち位置。
ごく普通には、八っつぁんは手紙が読めず、返事が出せないので困っている。
だが、ひと味違う。八っつぁん、アニイを責めて楽しんでいる感がちょっとあるのだ。
とっくにアニイの無筆に気づいていてそうするという解釈もあり得るが、八っつぁんというのは「そういう奴」なんじゃないかと。

そういえばなのだが、この噺の穴を発見した。
八っつぁんへの手紙、持ってきた人がいて、待っているのである。ということは、手紙が誰から来たかわからないはずないではないか。
今まで気づかなかったな。
でももしかすると、すでに本所のおじさんから来た手紙でないことを知って八っつぁん、アニイで遊んでいるのかもしれない。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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