「落語に専念しろ」に怒る志らく

「ウソばっかりつきやがって」。立川志らくに届く師匠・談志さんの言葉(Yahoo!)

立川志らくのことを昨日ちょっと書いたら、またしてもそれにシンクロした内容がWeb上に掲載されていてタイムリー。
志らくは「落語に専念しろ」という意見がよほど嫌なようで、たびたびこれに文句をつけている。
「世間の反応に同じ反論を繰り返しする」というのが、そもそもこの人らしい。
だけど、反論の元となる「志らくは落語に専念すべきだ」というコメント自体はまったく見えてこない。いったいどこの誰が言っているのか?
「談志の周りにいたような人まで」志らくにいちいち、落語に戻れと言うのだと志らくは語る。誰だよ。
吉川潮先生? なら書くだろう。見たことないな。
毒蝮さんは言わないだろう。
具体的な形を持ってすらいない意見を持ちだしてきて反論し、自分の正当性をまくしたてるという、そのやり方自体が一番卑怯に思えるのだが。
テレビで学んだ手法?

「テレビに出るから志らくは落語が下手になる」なんて言っている人をそもそも知らない。というか、いないと思う。
いるのは、「志らくは落語が下手だ。下手な落語を自画自賛するぐらいなら、もっと稽古しろ」という人だけ。
つまり、問題をすり替えているのは志らく本人。問題をすり替えておいて勝手に反論している。
テレビに出ることと稽古の関係については、すでにこちらにちょっと書いた。

立川志らくの評判(下)

こちらにリンクを張った、あまり落語に詳しくないライターが書いた記事が、志らくの矛先に一番近い原典。繰り返すが、他には目にしていない。
詳しくないライターに反論しても仕方ないし、それにこのライターの記事も、「志らくは同業者から落語を評価されていない」が主眼である。
私自身は、テレビに出て落語が下手になるとはまったく思っていない。そもそも、そんな関係にはない。
そもそも、ラジオのレギュラー持っている噺家に同じことを言う人などまずいないし。
春風亭一之輔師のラジオは、噺家らしく実に楽しい。
ナイツは週に15時間ラジオをやっているが、「これでナイツの漫才は終わった」という人の存在など知らない。いたら連れてきて欲しい。

プロの噺家がかつて、テレビに出過ぎると落語が下手になるという共通認識を持っていたのは事実。今でもこの認識は間違いなくあるだろう。
先代文治に、「50を過ぎると落語に帰ってくるのはキツいよ」と言われた鶴光師は、計画的にラジオ・テレビに出まくった後で、落語界に戻ってきた。
だが、バラエティ番組で活躍するのと、ワイドショーの帯で噺家らしいコメントを求められるのとはまた別だと思う。
噺家らしいコメントを志らくが出しているのかどうかは知らないけど。

テレビを止めたって、落語は上手くはならない。
視聴率が低いままだとしても、ギャラが上がらないとしても、需要があるだけテレビ出てりゃいいじゃないか。

木梨を弟子入りさせた放送は当然視ていないのだが、そこで「正蔵さんより私のほうが落語は上手い」と言ったそうな。
私から見る限り、落語界の評判にとどまらず、実力もとっくに正蔵師に抜かれている。
世間の人は「こぶ平」が落語が上手いわけはないと思っているから笑うかもしれないが、プロが同じことを聴いたらシャレであってもカチンとくるであろう。
「正蔵師だったら別にいいや」とはならない。プロにとって、なにが落語にとって大事なのかという価値観自体を傷つける行為だからだ。

ともかく。
低視聴率が続いてテレビをクビになったら、もはやこの人の噺家人生も同時に終わりだと思う。
ラジオには呼んでもらえないだろうし。
その意味では、確かに現状にしがみつかなければならない。
ツイッターでもてはやされることもまずないだろう。本業のほうも固定のファン(しかも、志らくに付いていっていいのかと日々疑問が増大していく)以外に、新規に入ってくる人もいなくなるし。

作成者: でっち定吉

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