【木梨憲武と落語】丁稚定吉・予言的中

木梨憲武大暴走(NHK・林家正蔵の演芸図鑑)

木梨憲武大暴走おかわり

二つ記事を書いたばかり。まだ1週間も経っていないのだが、そこに書いたことがことごとく的中した。
正蔵師匠との対談で、無礼の限りを尽くしていた木梨憲武。
まあ、「無礼」は世間基準である。それをぶち壊す気満々のタレントに対し無礼だと指摘するのもまた、世間常識に引きずられ過ぎではあるだろう。還暦間近のフワちゃん。

その木梨憲武が志らくの番組で弟子入り志願し、承諾されたのだそうだ。
番組で志らくが語ったらしいことと、ツイッターにおける世間の反応が、私の予想の範疇に収まっている。
別に嬉しくはなくて、むしろ単純な関係者と世間に対し気味が悪い。
世の中には、もう少し角度のついたものの見方をする人はいないのか?
志らく程度の、実にささやかな角度の付け方で驚いているようでは大したことがないぞと。
まあ、これ以上思ったままを展開していくと、私自身が傲岸不遜に思われてしまう。丁稚のくせにな。

私が先日の記事で書いたことを抜粋する。

  • 落語を知らない素人だったら、木梨ぐらいの人ならいきなり見事な落語ができると思う人もいるだろう
  • (弟子入りは)正蔵師でなくて、志らくに頼んだほうがいい
  • 志らくは落語界に喧嘩を売るため、「たけしのほうが落語が上手い」と一時期吹聴していた
  • 芸能界に確固たる居場所の欲しい志らくなら、「さすがとんねるずで一世風靡した木梨さん。談志の追求したイリュージョンが備わっている」なんてヨイショする
  • 木梨にはフォーマットがない。落語をフォーマットに使いたいのだけど、それは落語でも、噺家のやる漫談でもない

志らくの言動についてはほぼ的中。たけしも引っ張ってきた。
ツイッターを見ると、落語に無知な人は、結構平気で木梨に期待している。
そして、木梨だったら見事な芸を披露できると思っている。さらにその芸を観る機会があっても、そう言うかもしれない。
そもそも落語のフォーマットにハマってすらいない自由演技について、落語を知らない人が落語として論評しようがないじゃないか。
私は、木梨が落語以前に「すべらない話」に出たところで、ウケると思わない。理由は簡単で、狂気を聴き手に伝える話術を持っていないからである。
すべらない話にだって、最低限のフォーマットは存在する。世の中にそうそう、自由演技なんてものは存在し得ない。

ただ一方で、木梨が失礼だとツイッターで単純に怒っている人もどうかと思うのだ。
こうした人は、プロの噺家を必要以上に崇めすぎているように思う。つまり「修業」の価値を形式的に捉えすぎているわけだ。
ここに志らくの付け入る隙があるということは忘れないほうがいい。
志らくは、一之輔師とのマウンティング対談でも、「修業はダメな奴のためにある」と言っている。
修業そのものは、才能を活かすためのものではないという見方である。

私は、木梨に話術の才能があること自体に、疑問を持たざるを得ない。
話術のある人ならば、いきなりなにかしらの価値のある芸を見せる可能性を否定できはしない。
もっとも、ハードルは結構高い。
話術が確立しており、世間に認知されている伊集院光は落語界出身。
師匠円楽に、落語をまたやれと再三言われていると、先日も一之輔師のラジオで語っていた。
一之輔師も、ラジオの先輩伊集院について、「伊集院さんのトークは落語ですよ」と激賞している。
だが実際に高座に戻って喋ってみれば、意外と素人っぽい芸になる予感が私にはある。
いったん去った落語界のハードルが、形式的に異常に高いのではない。ただ恐らく、本人の中で落語のチャンネルが取り戻せないだろうと思っている。
格の違う話術を魅せつつ、そこに落語が感じられない、きっとそうなると思う。
落語界に無意味なリスペクトを持たないように心掛けている、私の予言である。

そして志らくも、相変わらず単純な人である。
芸能界で力を持つ人間に近寄りたい欲望が丸出しだ。形式的には木梨の師匠になるのだから、実に都合がいい。
実質的な師匠ではあり得ず、そこは志らくも最初から考えていない。
なにしろ志らくは、落語界でも随一のパワハラ師匠である。芸能界の力関係と、今後の自身の生き残りを考えたとき、木梨にパワハラなんてできるわけないし。
世間に対しては木梨を弟子のフリをして扱い、落語界に対しては「身内」として扱う。つまり最初から都合のいい弟子である。
本物の弟子に対するひどい扱いとは明らかに矛盾しているが、志らくには便利なお題目がある。「矛盾に耐えるのが修業」by談志。
別に木梨は矛盾に耐えはしない。

志らくという人、自分なりには落語界を常に叱咤激励しているつもりでいるのだろう。
だが、噺家の了見からするとまともな噺家でないので、いつまでも嫌われ続けている。というか無視されている。
自分を認めない落語界に復讐したい意志もあるだろうが、木梨ごときでその欲望が満たせるとは思えない。

しかし志らくの売れてない弟子たちも、高座でもって「私は木梨さんに『アニさん』って呼んでもらえるんですよ」なんてつまらないマクラを使って悦に入らないことを望む。

どうせなら、志らくの身内になった木梨、例のお股の緩いかみさんをネタにして、志らくに破門されて欲しい。実際にちょっかいを出してみるとか。
プロレスなら、そこまでやってもらいたいね。
それにしても木梨、高座名を勝手に「立川のり平」とか言ってたらしい。「平」を正蔵師のところから勝手に持ってきちゃってるぞ。

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 更新毎度のことながらお疲れ様です

    木梨さんの一連の行動なのですが木梨さんと言うかとんねるず自体が色々な意味でシーラカンス的な感じなのかなと思うことはありましたね。みなさんのおかげでしたが終わった後も短命に終わった石橋さんの番組をやって癒着してるなとも思ったこともありました。今回の件にしてもバブル期から90年代のノリを引きずってるというようにも見えました。

    とんねるずとデビュー時期が近いダウンタウンやウッチャンナンチャンは時代の変化に対応しようという姿が多少なりとも見えるような気がするのですがとんねるずはそれこそ末期はグダグダで聖域化していたみなさんのおかげでしたのように相変わらずって感じがしますね。ただ、変わらないのが悪いというわけでもなく最近始めた石橋さんのYouTubeチャンネルはバブル期から90年代が好きで懐かしい人には好評みたいですね

    あと木梨さんが正蔵師匠に弟子入りを志願したことはテリー伊藤さんがたい平師匠に弟子入りして林家テリ平になったことを思い出しましたね、ああいう非公認弟子になりたかったのかなという感じで(木梨さんがテリーさんを意識したかどうかは分かりませんが)

    そういえば木梨さんは祖師ヶ谷大蔵に実家の自転車屋がありますが祖師ヶ谷大蔵つながり(日大)で柳家喬太郎師匠に弟子入り志願という流れにならなかったのは不幸中の幸いだったのかも知れませんね(苦笑)今後キワモノないしゲテモノ同士の化学反応がどうなるかを傍観していきたいと思います

    1. うゑ村さん、いつもコメントありがとうございます。
      とんねるずは一度も好きになったことがありませんが、一世風靡したことは認めています。
      それはそうと、木梨に「話術」なんてないだろうと思っています。どうして喋りを披露したくなったのか・・・

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