堀之内寄席4(下・春風亭昇々「天災」)

トリは春風亭昇々さん。
真打昇進のお知らせなどは特にしない。来年5月に昇進なのだから、本来ここらで言っておくべきなのだろうが。
この才能溢れる噺家が、宮治に抜かされる事実に私は心を痛めている。
宮治さんが抜擢に値する才人なのはわかっている。でもダークサイド。
来年2月に昇々さんたちを昇進させ、5月に宮治をひとり真打にすればよかったのに。無理やり抜擢の事実をこしらえたような気がする。
まあ、そうだとして勝負は一生続く。
たい平、喬太郎の抜擢のあと、抜かされた人たちは10人同時真打。
しかしその中に、白鳥、文左衛門(文蔵)、三太楼(遊雀)がいるのだ。
昇々さんもいずれ柳昇を襲名してもらいたい。

フェイスシールドについて、この人はややネガティブな評価。喋ってる間に下がってくるんだって。
まあ、仕方ないですねと。

そして、結婚したんですけども、と。
さらっと発言して話を続けるので拍手する間がない。真打昇進を言わないのと同様、客にそんな拍手を求める気は一切ないらしい。
結婚したことを報告したかったわけではなくて、その話題からネタを振りたかったのだ。
先日、実の祖父から祝いをもらったのだが、そのことを母に言わなかった。なので、お礼が言えなかったじゃないかと母に叱られたという話。
高座の直前にメールがあったそうで。
こんな話、広がりそうにない。だが、しっかり広げてみせる。
笑顔のまま、私ちょっとムカついてるんですよ、でも会場の(年配の)皆さんは、私の母のほうに共感しそうですねと振ってから喋るので、大爆笑。

昇々さんは何を喋っても面白いという話術を持つ人。どうしてそんな話ができるのかをつい考える。
考えてちょっとわかったのだが、この人は常に「この話で私自身が楽しんでるんですよ」というサインを出している。
「この話、面白いでしょ」ではない。それは先に出た鷹治さんも言う、無駄にハードルを上げた状態。
昇々さんの場合、「こんな話あるんですけどね。あ、これ、面白いですね。笑っちゃいますよ私」である。
常に高めのテンションと裏腹な、ブレない自分自身を確立したがゆえの離れ業である。

「母親に軽くむかつく」という、実に薄いつながりらしいのだが、天災に入る。
以前明烏を聴いたとき、「私マクラと噺つなげるの下手なんです」って言ってたっけ。
新作も聴きたいのだが、昇々さんはもっぱら、新作ユニットソーゾーシーで掛けるようだ。私は昇々さんそこそこ聴いているが、一般の落語会では100%古典。
もちろん、この古典がみな面白いのであるが。
天災はどこかで聴いた覚え。というか、私が最後に聴いた昇々さんの噺がこれだ。
連続して同じ噺を聴かされたことになるのだが、まるで気にならない。とにかく面白いのだ。
そして、記憶にある噺とはまったく違う。実際はほぼ同じかもしれないのだが、違って聴こえる。とても新鮮に響く。

昇々さんの古典落語はマンガだと私は認識していた。
マンガといっても、ギャグがではない。スタイルがマンガ。
手塚治虫が(晩年の作品はともかく)、リアルなタッチの劇画とまったく違う路線を進んでいたのは誰でもわかるだろう。
設定自体が、マンガでできた古典落語なのである。
しかし今回はさらに別のことを考えた。
昇々落語はアニメである。平面よりも3D。
アニメの声優は、実写ドラマとまったく異なる、リアリティに欠けた声を使って喋る。
だが、それこそアニメの世界の中においてはスタンダードなパーツなのだ。
昇々さんの、ネジの緩んだ八っつぁん、まさにアニメの登場人物。
いかに狂った人物造形、デッサンであっても、噺の中で極めて精緻な整合性を見せているのである。
この才能については、特に強調しておきたい。

天災という噺で近年いいのを聴いたのは、柳亭小燕枝(現・柳家さん遊)師。
八っつぁんと紅羅坊名丸先生との間に、ちゃんと心の交流が芽生えたのを私は見た。
そうした要素のかけらもない、昇々さんの天災。しかしちゃんと別の要素が噺の細部にまで詰まっている。
紅羅坊先生の話をどこまで飲み込んだかわからない八っつぁんであるが、動物に近いので、オウム返しはしてみたい。
この関係が、昇々さんのアニメ版天災では非常にしっくりくるのである。

実に楽しい一席であった。
ソーゾーシーにも行ってみたいのだが。他のメンバーが立川吉笑、玉川太福というぜいたくなユニット。

3席聴いて、また遠い道のりを自宅に帰りました。
この500円の会が早く予約制でなくなり、そして50人ぐらいどっと集まりますように。

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作成者: でっち定吉

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