ちなみに晴太さんは羽織を脱がなかった。たぶん会場が寒いからだと思う。
続いて桂鷹治さん。道灌を引いて、私は家康と同じ岡崎出身ですと。
法学部にいたので、法曹界にでも行くのかと期待されたのですが噺家になってしまいましたと挨拶。
コロナ明けに出向いた末広亭では、師匠・文治の芝居のクイツキに抜擢されていた期待の二ツ目。芸協カデンツァのメンバーでもある。
この日は、朝の神田連雀亭ワンコイン寄席に出ていたはず。
一瞬、私も一緒に神田から杉並まで移動しようかと思ったのだが、やめた。神田から堀の内とは面白いじゃないか。
鷹治さんもフェイスシールドに触れる。
前面にアクリル板のある席よりはやりいいそうで。アクリルだと演者自身が映るから。
これは連雀亭や、巣鴨スタジオフォーのことである。
コロナ緊急事態宣言の直前の、師匠・文治の話。
いよいよ緊急事態宣言が出される直前に、文治師は二人の前座とともに、車に乗って大分に旅に出かける。
すでに出発しちゃったのなら仕方ないだろうと言われることを狙ってである。
宣言直後に、文治師の地元、宇佐神宮に昭恵夫人が出没したことには怒っていた文治師であるが、自分自身はどうなんだろうと弟子の疑問。
ついでに二人の前座の故郷である、能登と松山にも寄ったとか。
鷹治さんはというと、完全に自粛モード。奥さんが毎日仕事に出かけるので、鷹治さんはスーパーに出向き、家事をする。
この世界、ふだんなにが楽しいかというと楽屋の馬鹿話。どうでもいいことをいつも喋っている。
だが、自粛期間中は話し相手は奥さんしかいない。奥さんは素人なので、話がつまらないんだって。
客に向けて、「面白い話がある」というフリで始まる話題は、だいたいつまらないので気を付けようだって。
結婚している二ツ目さんは、このように奥さんが働き、本人は家事をしているという人、結構多いみたいだ。
鷹治さんの将来は明るくていい。
鷹治という名前は、高木という本名から来ているのだそうだ。
前座のときは、本名から採ってたか治。本名から一字拾ってくるのは文治一門の伝統。
二ツ目らしく漢字に直す際に、「高治」だと正しく読んでもらえないので、他に読みようのない「鷹」の字を持ってきたのだそうで。
親に鷹治になったよと報告したら、検事や判事になって欲しかったのにと。
そんな楽しいマクラを10分続けて、夫婦の話へ。いきなりの夫婦喧嘩。
あ、堪忍袋。
三遊亭遊雀師の型である。もともとは、笑福亭鶴瓶師のものを三遊亭竜楽師が東京に持ってきて、それを遊雀師と、金原亭世之介師に教えたのだそうだ。
私もこの、遊雀師の型が大好き。
遊雀師は、この元がよくできた堪忍袋に、新たなクスグリを含めた、完璧な型をこしらえている。私も2年前のヒルトピア寄席で爆笑の一席を聴いた。
そして、弟子の遊かりさんからも、昨年の堀之内寄席で聴いたのだ。
完璧な型といっても、高い腕がないとこなせない型である。腕があれば、型のままやっても面白いと思う。
鷹治さん、遊雀型をほぼ踏襲する。
だが、じつにさりげなく自分の個性を加えていく。というか、どうやっても最終的には自分の噺になるという自信があるのだろう。
遊雀師は芸協において実に偉大な存在であって、芸協の若手から、強烈な遊雀型の噺を聴くことがたまにある。
遊雀型は明らか。たとえば春雨や風子さんからは「宗論」を聴いた。
腕のある人間とない人間とを分ける、リトマス試験紙みたいな存在の遊雀落語。
鷹治さんは噺の編集が上手い。この噺の、使いたい部分のみをしっかり使い、あとはカットするか縮めるか。
そして堪忍袋の見立てである手ぬぐいの使い方も実に上手い。「堪忍袋の緒」をしっかり描写しているのはオリジナルだと思う。
堪忍袋という噺、もともとは袋が弾けて中から貯まった悪口雑言が飛び出すというもの。
この鶴瓶師から伝わったものではサゲが大きく改変されている。
実に楽しい一席でありました。