花緑弟子の会のトリは緑君さん。私は久々。
おかげさまで来年の真打が決まりましたが(客、拍手)、それを迎えてくれるこの人数というね、と。
登場の際にもパラパラな拍手ありがとうございますと悪態をついているが、この人は愛嬌があるので嫌味がなくていい。
現在池袋では、四代目金馬の襲名披露の最中。
コロナ以降はあまり若手は楽屋に出入りできないのだが、先輩のときん師に頼まれたので手伝いに行っているそうだ。
毎日、柳亭市馬会長に会って挨拶をする。
市馬師は、他の人には軽く「うん」とか言って挨拶を返すが、緑君さんのときだけはいつも「あんた誰」。
昔の寄席育ちの人は、毎日こんなことをやってて飽きないらしいと。
ただ、そのたびに「ぼくですよ、柳家緑君ですよ」というやり取りではつまらないので、変化球を投げることにする緑君さん。
「あんた誰」
「落語協会の正会員です」
「入れた覚えないな」
あるいは、
「あんた誰」
「柳家の保守本流です」
「テメエで言うな」
楽屋は楽しくていいですね。
来春に真打昇進があり、そしていよいよその次が花いちの昇進ですだって。あんたもだよ。
お客さんに、自分のことより「花いちさんはあれで真打でいいんですか」って聞かれるとか。楽しい一門。
さて本編、実に不思議な死神であった。
先に言っておくと、迫力があり、ギャグに走ったりもしない非常にいい高座。
死神に地下に連れていかれるシーンを厚めに。
怖がる主人公と、ローソクに火を移すシーンをたっぷり。
怪談噺と人情噺の風情を兼ね備えている。声はいいし、さすがだ。
そして、地下のろうそくのシーンが見事な画になっている。
つくづく聴いてよかったと思っていること、そしてこの日の締めくくりとして見事だったことはちゃんと語っておきたい。
でもやっぱり噺の矛盾を指摘したい。
緑君さん、名作・死神のストーリーを少々改変している。ストーリーというか、時系列。
改変の仕方がかなり気になってしまった。整合性取れてないのでは。
理屈っぽい私、本筋と関係ないところでも、整合性がないと気になって仕方ないのだ。
なんと、死神に会ったその翌日には、越後屋さんの旦那を、布団の前後をひっくり返して助けてしまう。
当然、かみさん追い出したり上方に物見遊山に出かけたりというシーンはない。
旦那を助けた翌日に、道で死神に会って「昨日はどうも」と言っている。この昨日は、死神を吹っ飛ばした日ではなく、呪文を教わった日のこと。
「僕と死神との2日間」だな。
でも、よく見ると矛盾が激しいんじゃない?
だって、時系列を追うと、緑君版死神はこうなる。
- 死神、越後屋に取り付く(←これポイント)
- (数か月後)主人公、3両が工面できず日が暮れてからかみさんに追い出される
- (越後屋に取り付いているはずの)死神に会って「あじゃらかもくれん」を教わる
- (直ちに)医者になってすぐ依頼が来る
- あじゃらかもくれんで治す(治療費は3両)
- (当日)また依頼が来る
- また治す
- (当日)また依頼が来る
- また治す
- (当日)越後屋の依頼が来る
- 死神がうつらうつらしているところを狙って布団をひっくり返す(治療費は5千両)
- (当日)死神に会って、「昨日(呪文を教わる)はどうも」
- 死神にあれは俺だと言われ、「昼はすみませんでした」
- 消した死神に、ろうそくが立ち並ぶ地下に連れていかれる
まず1。これはうっかりしてるのでは。3の前から取り付いていないと辻褄が合わない。
そして、どうして取り付いている死神が同時に主人公の前に現れるのか。
そして3は日没後なんだから、4は翌日でないとおかしい。
治療を始めたその日のうちに、10までは(かなり忙しいが流れ作業的に)かろうじて可能かもしれない。
だが、11はうつらうつらする死神と戦っているのだから、日付が変わっていないとおかしい。でも12のシーン、まだ日が出ている。
となると、どうしても3日間ないといけない。
どこかが間違ってますよ。
そして、1の件が解決しないですよ。
こういうのを、ロジハラというのであろうか。
噺家を追及するシカハラかもしれない。
まあ、矛盾があっても楽しけりゃいいのが落語です。