柳家花緑弟子の会7(中・柳家花飛「新聞記事」)

昨朝うっかり、予定記事であった緑君さんの「死神」の記事をアップしてしまいました。たまにやらかすのだ。
2名の方に、先んじて覗かれてしまいました。
自分のミスだけど癪なので、その記事を新たに中・下として分割し、たっぷり加筆して、2日に渡って再度アップします。

2番手は花飛さん。この人も今日の目当て。
袴姿。よく着けている印象だが、侍の噺をやるわけではない。
マクラでなに話していたか忘れてしまった。一晩経つと急に思い出したりするのだけど、思い出せない。
別にブログにマクラを義務的に書こうとしてるわけじゃない。噺家さんの財産だから、ひたすら覚えているままに書けばいいってもんじゃないし。
この花飛さんも珍品好き。
万病円とか、一眼国、豆屋なんて過去に聴いた。洒落番頭なんて2回聴いた。
だが珍品好きのその程度は、圭花さんほど極端ではないらしい。
すでにそばの殿様が出た後のためか、この日はスタンダードな新聞記事。
だがこのスタンダードな噺、かなりの絶品でした。
目に見えてわかりやすい、特殊な演出があったわけではない。だが迫っていくとその素晴らしさが浮かび上がってくる。

さて新聞記事という噺、とにかくボケの量が多い。
この噺の八っつぁんは、他の噺に出てくる同名の人たちより、はるかにボケている。
とにかくボケ倒す噺であるが、ボケが多い分笑いの量が多いのかというと、そんなこともない。
ちょっとこの噺のボケの量と質、噺を壊し気味な程度に入っている気がする。
「体を交わす」「心臓」が思い出せない八っつぁん、タイについては恵比寿さまから、ゾウについては動物園から思い出す。
でも、このあたりを抜くと中身が薄いという、編集の難しい噺。
原典である上方の阿弥陀池と違って、裏を走るストーリーがないだけ単純なのだ。
天才・一之輔はこのあたりを再構築して、八っつぁんのボケのすべてに落語的意味を与えてしまうのだが、そこまで振り切らない中途半端な高座も多い。
このブログでも、そうした高座の悪い印象ばかり書いているわけでもないけど、軽いガッカリは地味に後を引く。
だが盛り上げようとしない花飛さん。この躁病の八っつぁんの噺を、低く低く進める。
この人のスタイルだが、トーンを低くすることで、八っつぁんの跳ねまわりっぷりが落ち着いて、しかし逆にコントラストがつくため強調されて描かれる。
その結果、全体のバランス最高の新聞記事が誕生した。
この噺を活かす最適の演出じゃないだろうか。

新聞記事、難しい箇所がさらに2点あると思う。

  • 隠居から友達の竹さんが死んだと聴いているのに、八っつぁんがうろたえずに話を聞く必要がある
  • 竹さんの話をオウム返しでする八っつぁんを、豆腐屋がやはり慌てずに聴いている

豆腐屋は、「人の生き死にで面白がるな」と八っつぁんに釘を刺してはいるものの、不自然なやり取りだ。
まあ、すでにハチが面白いことを言おうとしているなと見抜いている豆腐屋なんだろうけど。
一之輔師が天才だと思うのは、上記2点の疑問点に対して、しっかり本来あるべきリアクションを入れてきたこと。
つまり、八っつぁんはうろたえて泣き出すし、豆腐屋はかみさんに、すぐ連絡しろと指示を出す。
噺の穴をまず埋めて、整合性を取り戻してからギャグにしていくという荒業。
だが、別の方法もある。それが花飛さんの使っているもの。
噺のトーンをギリギリまで下げてしまうため、人間らしいアクションが発生しなくてもよくなってしまうのだ。
現実と異なる、おはなしの中の登場人物のやり取りである点をはっきりさせておけば、不自然な流れなど存在しなくなるのである。
昔の噺家のやり方だといえばそうだろう。でも、花飛さんの語り自体は決してクラシックじゃない。
自分を活かしていくうちに、結果的に昔の人と似たやり方に行きついたのだろう。

前回花飛さんを聴いたときは、開口一番で15分。そして今回は、仲入りなのに15分。
15分の高座が好きなのだろうか。でも、短いなりにすばらしい一席である。

さて、間違えてアップした記事ではあまり量を費やしていなかった花飛さんで、十分一日分の記事になりました。
もちろん、噺がすばらしくて、その気になれば深掘りしていけるからこそだけど。

続きます。

 

お見立て/短命/新聞記事/富久

作成者: でっち定吉

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