じゅうべえ/ 狸札
楽㐂 / 平林
圓福 / ふぐ鍋
志遊 / 尻餅
愛楽 / 厩火事
朝橘 / 試し酒
(仲入り)
楽八 / 鈴ヶ森
夢葉
兼好 / 花筏
夏以来になるお江戸両国亭、両国寄席に行ってきました。
夜席しかない両国寄席、昼席主体の私にとっては行きづらいのであるが、息子を連れていけば夜もOK。翌日は土曜で学校休みですし、いいでしょう。
今年は随分円楽党を聴きにいった。先月の国立で一応締めた感じだけど、さらにお替わり。
正月も行くかもしれない。バカ高い初席料金を取られることもないので。
この日の両国寄席もまた、素晴らしい内容でした。お目当ては主任の兼好師。
愛楽、朝橘と、国立で初めてお目にかかり感嘆した師匠も顔付けされている。
両国寄席ならではの、他団体からお越しの師匠は立川志遊師。あとマジックの伊藤夢葉先生(落語協会)。
客席もそこそこ賑やかでした。夜席でも、だいたいお年寄り。
雨もぱらつく寒い日で、マンション一階の共有スペースみたいなお江戸両国亭、寒いのではないかと心配したのだが、そんなことはなく十分暖かい。
開演の6時直前に入ると、前座のじゅうべえさんがたぬきをやっていた。
スウェーデン人だというのが現状唯一のウリという人だが、前回聴いたときより腕が上がっていて驚いた。
落ち着いて喋る人ではあり、ギャグがハマると結構面白い。やはり好楽一門には独自のメソッドがあるのでしょうか。
さらに、サゲまで新しいのをくっつけていた。狸が札に化けて財布の中に入れられたところ、兄貴が入っていたと。
三遊亭楽㐂「平林」
続いて円楽門下の楽㐂さん。読みは「ラッキー」。
出身地で、今でも住んでいる府中のマクラ。競馬場と刑務所で有名な府中のネタが、城東地区でどれだけピンときているかわからないが、結構ウケていた。
客をほっこりさせる人。生地でなくて、だいぶ作りこんでいそうだ。
噺家である以前に、漫才・コント等に通じるギャグの間がとてもいい。競争率の低い落語界とはいえ、お笑い芸人としてのセンス、あれば必ず武器になるようである。
「平林」は、誰でも「ひとつとやっつでとっきっきー」と歌えばそこそこウケる噺だが、センスのいい楽㐂さん、そんなに歌ネタには頼っていない。
オヤと思ったのは、「いちはちじゅうのもくもく」をなぜそう読むのかの説明があったこと。読んでもらう相手が大工の親方で、難しい字はわからないが、字というものは必ずわかりやすく読めるはずだという信念に基づいてのことなのである。
歌う際も、客に手拍子をさせ、ダンス入り。
楽しい高座だった。当代円楽一門にも、いい噺家さんがいるものですね。
三遊亭圓福「ふぐ鍋」
楽㐂さんの次は兄弟子の楽八さんの出番だが、順序交代でクイツキだった圓福師。出囃子に乗って踊りながら入場。
相撲界不祥事ネタで、客をがっちりつかむ。
客をつかんでおいて、あとはなにをやってもウケる状態を作りだす。ベテランの味ですな。場内一体化していい感じ。
野だいこのマクラを振るので、何の噺かと思った。この時季、「鰻の幇間」じゃあるまいし。
季節にぴったりの「ふぐ鍋」でした。この噺、他団体ではあまり掛からない気がする。落語ならだいたいなんでも知ってるうちの子も知らない噺。
乞食に毒見をさせようという発想、現代感覚からはやや受け入れがたいところがあるかもしれない。
「豊洲で上がったふぐなので安心」という旦那。こういう入れ事をする際に、噺家さんの肚構えがわかるのである。入れないでいい入れ事をわざわざ入れて噺の世界を壊す哀しい噺家さんは数多いが、ちゃんとギャグですよというサインを入れて出す人の世界は揺るがない。そして圓福師、笑いだけ持っていく。
ふぐ毒を恐れるあたり、逆に現代感覚からは滑稽である。そこを上手く活かしている気がする。
毒は食いたし命は惜しい、そのドタバタぶりがナンセンスなので、毒見させようというのも生々しくはない。そもそもこの旦那と一八、ひと口だけは先に食べているし。
楽しい落語に醸成された、いい空気が早くも両国に漂う。
立川志遊「尻餅」
立川流から志遊師。
非常に両国寄席がマッチする師匠だ。円楽党所属だとしてもあまり違和感がない。
立川流というのは、こういう控えめな師匠がワリを食いやすいと組織だと思うのだ。
圓福師よりはカチッとしているが、漂っているいい空気感を引き継ぐ高座。
これも季節の噺で尻餅。またうちの子の知らない噺だ。
おかみさんの尻っぺたを引っぱたく噺、子供に聴かせていいのかどうか知らない。まあ、「目薬」がいいならこれもいいんだろう。
うちの子に関していえば、別に何でもOKですけどね。とはいえ、廓噺がネタ出しされているときは連れていかない。親がおかしいと思われてしまう。
「尻餅」、落語の登場人物が声を何種類も使い分けるという、その構造が非常に珍しく価値ある噺。落語というものの無限の可能性を味わわせてくれるネタだけど、なにしろこの時季しかできない。
落語の登場人物が落語を語るような噺だ。他では「二階ぞめき」のワンシーンにちょっとこんな雰囲気があるだろうか。「干物箱」だと、あれは別に声を使い分ける必要性はない。
八っつぁんとおかみさんしかいない本来のシーンと、餅屋の大将、若い衆が揃っているシーンの両方が脳裏に浮かぶという、聴き手にとって非常に刺激的な噺。
志遊師、しっかり情景を二重に描いてくれる。
貧乏人が見栄を張って馬鹿なことをやっているのだが、八っつぁんにとっては遊び。悲惨さはない。
色物が入らずに落語が延々と続くが、疲れずとても楽しい。
こういう空気こそ、寄席の醍醐味であります。
三遊亭愛楽「厩火事」
愛楽師には「待ってました」の声も掛かる。人気あるんですね。
マクラは、国立で聴いてその後忘れていた内容だった。世にはワケわからない奴がいるねという。
若いの二人がスカイツリーを見て話している。「スカイツリー、すげえよな。やまざき県から見えるんだってよ」。やまざき県ってどこだよと。
本編は、お咲さんの実に可愛らしい「厩火事」だった。愛楽師、明らかに旦那や亭主よりも、お咲さんが合っている。
噺家さん、カチッとしているので侍に向いていたり、アホっぽいので与太郎に向いていたり、噺の登場人物に向いたいろいろな個性がある。おばちゃんっぽいのがニンに合っている噺家さんがいてもおかしくない。といっても、お咲さんみたいなキャラ、古典落語にはあまり出てこない。新作にはそこそこいますけどね。
愛楽師、きっとおばちゃん気質の噺家さんなんだと思う。先日聴いた「親子酒」も、婆さんがよかった。
そんな愛楽師にとって、「厩火事」はとっておきの飛び道具に違いない。
厩火事、本来は笑いどころのそんなに多い噺ではないと思うのだ。笑いのツボはもっぱら「麹町の猿」に頼る噺。
だが、無邪気なお咲さんが、すべてのギャグを全部拾い、さらにオリジナルギャグを加えて爆笑ものになっている。
へえ、こんなやり方もあるんだなあ。
さすがにサゲは変えられない。変えられないサゲのあと味がちょっとよくない噺だが、楽しい雰囲気を終始維持して大成功。
三遊亭朝橘「試し酒」
仲入り前は、国立ですっかりファンになった新真打の朝橘師。両国寄席は、このポジションを若手が務めてもいいらしい。
国立でも非常によかった師匠だが、そのとき聴いた「本膳」も、具体的になにがいいと、言葉で明確に表現しづらい人。
自分でもわからないのに、ブログで説明できるものではない。まあそれでも、二回目でだんだん呑み込めてきた。
マクラで、寄席の客層はトリの師匠によって違うと。それは確かにそうだ。
今日は兼好師匠のお客さんなので、人のよさそうな感じのお客さんが多い。でも、実は目が笑っていないと毒入り。
酔っ払いのマクラを振ってから「試し酒」。
マンガっぽい久造のキャラだが、落語世界の片隅にちゃんと存在している感じ。私は「架空世界のリアリティ」というものが落語に欠かせないと思っているのだが、その表現のしようがとても上手い人なのだ。
五升なんて呑めるわけがないとたびたび強調されるいっぽうで、噺に不思議なリアリティが湧いてくる。現実に存在するキャラではないが、落語の中にはリアリティを持って存在していそうなのである。
五升呑めるかどうか、思案に出かけ、帰ってきてから呑みだす久造、ここでしっかり酔っているのがいいと思った。
噺を知らない人であれば、そういうキャラなんだなと思って気にせずスルーしてしまうだろう。ほどよい酔い気味が、しっかりサゲの伏線にもなっていてとてもいい。
五升を呑まれたら困る旦那のほうも、ちゃんと楽しんでいるので嫌な感じが全然ない。久造の旦那のほうも、久造なら呑めると信じているので動じず、やはりいやな感じがない。
もちろん久造も素敵な人物。
そんな登場人物たちにより、高座が生き生きしている。こういうあたりに自然と私も惹かれるようだ。
***
寄席に通うのは、落語世界の独特の空気に触れたいからである。「笑いたい」というのは、スパイス程度のもので、それほどの原動力にはならない。
この日の両国には、それはそれはいい空気が漂っていた。
後ろの婆さんが喋りをやめないのがちょっと閉口であるが。
この空気感が、今の私が求めるものにとてもマッチする。適度に珍しめの噺が掛かるところも、空気感の醸成に貢献しているかもしれない。
それで円楽党につい惹かれるらしい。特定の団体を贔屓しようという意思など持ってはいないから、当代円楽師のもくろみどおり、芸協に吸収されてしまってもそれは全然構わない。
ただ現状、この団体には私の好む空気を作り出してくれる噺家さんが多いのは確かなようだ。
いっぽうでは、エッジの効いた噺家さんが少ないということはいえるかもしれない。愛楽師の芸などはなかなかエッジが効いているが、いっぽう、そういう路線を目指してうまくいってないと思しき人も見受けられる。
異端の芸は、スタンダードの芸が充実していないとやりにくいし、評価もされづらい。その点、落語協会なら、二ツ目時代からとんがった芸を魅せても需要があるのである。
そう思うと、現在の円楽党の実力を高く評価するいっぽうで、現在形が最終形ではいけないのだなと強く感じる。
さて、仲入り後は順序交代の楽八さん。二ツ目はなかなかこの深いポジションに入らないので頑張ってやりますと。
名前は忘れていたが、顔を見て、神田連雀亭ワンコイン寄席で見かけたことがあるのを思い出した。
「辰巳の辻占」をやっていたのも覚えているが、当ブログには感想を書いていない。まあ、そういうことである。
今日の「鈴ヶ森」は悪くなかった。ただこの噺を二ツ目さんが掛けると、どうしても背後に巨人・一之輔師がチラチラ見えてしまう。楽八さんが一之輔師のギャグを使いまわしているわけでもないのだけど、無視もできないだろう。
ああいう強烈な人がやる噺は、それだけでハードルが上がってしまう。
この日は色物さんはヒザの一人だけ。
ヒザは当初の顔付けでは、「こ~すけ」さんだった。楽しいパントマイムを息子に見せてやりたかったのだが、昨日の顔付けの伊藤夢葉先生と交代。
夢葉先生も楽しくていいのだが、落語協会の寄席でお目にかかる人だからなあ。
でも、いつものおふざけマジックが、大変いい感じにあったまった両国の空気の中で、さらに楽しくなった。
なにか喋るたび、動くたびに場内大爆笑。大爆笑だからといって、落語ではないのでトリの邪魔をすることはない。すばらしい仕事でした。
三遊亭兼好「花筏」
いよいよトリの兼好師。2時間半の両国寄席、しまいまで早いものである。
兼好師、今や円楽党を代表する売れっ子である。喜多八師亡き後の、落語教育委員会のメンバーに選ばれたのもすごい。
ホール落語で師を聴いている人が多いだろう。私はホール落語にそうそう出向かないので、なかなか遭遇しない。たかだか二度目の高座である。
リズムのいい語りと、常に噺に漂う圧倒的な余裕。高いレベルで聴き手を楽しませてくれる。客を上手く騙す噺家さんでもある。
だが、初めて聴いた人の人生を変えるほど、衝撃的な芸に感じるわけでもない。
大変面白いのに、それと裏腹にじわじわ染み入ってくる不思議な噺家さん。ごく一般的な人気を持ちながら、通好みふうでもある不思議な師匠。
この師匠も、どこがいいと自分の中で明確にしづらい。ある種典型的な円楽党の噺家かもしれない。
だが今日、その魅力の一端が言語化できた気がする。
「花筏」のハイライト、取組シーンは大変シュールな状況である。命を失うのが嫌な偽物大関の提灯屋と、相撲の真の恐ろしさを土俵で知った素人力士の千鳥ヶ浜、互いが涙を流してなんまんだぶと唱え合う。
このシーンに、兼好師は常識人の視点を持ち込む。もっとも常識的な登場人物など出てこないので、地でさらっと説明する。それが非常に上手い。
なるほど、おかしな世界のおかしなシーンであっても、聴き手ののめり込みようによっては悲惨なシーンになりかねない。そこにさらっと常識を持ち込むことで、噺のくだらなさを際立たせているのだ。
ベテラン漫才師のツッコミにも通じるこういうテクは、志の輔師が使っているのではないか。
あとはマクラからのテンポのよさ。眞子さま婚約からの皇室不謹慎ネタ。年寄りだから皇室好きに違いない聴き手が「あれ、これいいのかな」と思っている間にリズムよくどんどん進んでしまうので、ブラックな笑いを求める人でなくても気持ちよく聴ける。
本編に入ってから「相撲というのは八百長があるもんなんだ」と、噺の中で、これもさらっと言い切るのも同様。こんなこと、個人の感想として改めて言われたら、特に両国の地では愉快に感じない人もいるはず。
もっと聴きにいきたい師匠だ。聴くたびに新たな発見がありそう。
ちなみに「花筏」はそこそこよく掛かる噺。両国ならなおさらだろう。
親方が勧進元から、花筏出場を直接依頼されるシーン、千鳥ヶ浜が客たちに土俵に無理やり上げられるというシーンがあったのが新鮮でした。こういう型は初めて聴いた。