国立演芸場11 その2(春風亭鯉枝「ディス・イズ・ア・ペン」)

続いて、実は楽しみにしてきた鯉枝師。今日の主役、鯉八師と同じく新作専門の人。
瀧川一門にも春風亭の亭号の噺家が複数いるが、いずれも襲名によるもの。鯉枝師だけは、師匠が春風亭から瀧川に亭号を改めたのに、変えようとしなかったという変わった人。
デビューから一度も名を変えないで通したいんだとか。

鯉枝師は2009年に真打に昇進しているが、そのとき私はこの人の、国立の披露目に来たのだ。
その頃は、私も二ツ目を聴きにいくようなファンではなかった。だから鯉枝師も披露目で初めてお見かけしたのである。
それ以来ファンになり、日本橋亭で開催された「ZABUTON CUP」にも出向いた。
そこで鯉枝師、なみいる新作派を破り、見事優勝したのであった。私が参加したのは昼の部の予選だけだが、鯉枝師に投票した。
だが、その後故郷の北海道に引っ込んでしまった鯉枝師。
幻の噺家になってしまった。私も惜しんでこんな記事を書いた。
その人が今年コロナ禍の中、寄席に帰ってきたのだ。

鯉枝師、なぜか「いろはす」のペットボトルを持参。座布団の脇に置く。こんな噺家、初めて観た。
あ、これ焼酎じゃないです。水ですだって。なぜ水を持ってきたのかは語らない。
ぼそぼそ喋る鯉枝師。
私は酒で体を壊しまして、故郷に引っ込んでいたんです。9年振りに東京に帰ってきました。
ですがどこもかしこも自粛モードで、高座に上がっても拍手が自粛され、笑いが自粛されています。
東京に帰ってきて各方面にあいさつに行ったら、師匠に、なんでこの時期にと言われました。
昔と違って、駅に仕切り(ホームドア)ができてますね。それから、タバコ吸うところが少ないです。だから公園とか、駐車場とか、ビルの隙間あたりで吸っています。

ブランクがあっても、変わらず面白い鯉枝師に嬉しくなってしまった。字で読んだ人は、なにが面白いのかわかるまいが。
酒で体を壊したというのは、本当かどうかは知らないが初めて聴いた。
そして、ペットボトルの水をおいしそうに平然と飲む。本編に入っても一度飲んでいた。

本編は、「ディス・イズ・ア・ペン」。これこそ、ZABUTON CUPで新作ジャイアントの白鳥師たちを倒した師の鉄板ネタである。
浅草お茶の間寄席で流れていたものを録画したが、その後見つからなくなってしまった。たぶん再生できないディスクの1枚に入っている。
中学校の初めての英語の授業を描く新作落語。
この題材で、一般的な新作落語家が書くと、中学校のあるあるネタたっぷりの作品になるだろう。
日常に即したそんな噺も楽しいだろうが、鯉枝師はひと味もふた味も違う。
現実と切り離された、しかし現実感を残したセリフだけで噺が構成されているのだ。

懐かしいなんて気持ちよりも、目の前で繰り広げられる楽しい落語から目と耳が離せない。
新作派も数は増えたが、この人と同じスタイルはひとつもない。メリハリを一切つけずに語る、そのネタのすばらしいこと。
ストレートに面白いので、私の感性が直ちに反応する。だがいっぽうで、なぜこのネタがストレートに響くのかわからず、脳の一部が戸惑っていたりして。
楽しく戸惑うのだけど。
強烈なギャグなど入っていないのに、やたら面白い。
実は「笑わせようとしないが勝手に客が笑う」という、人間国宝小三治師がそうありたいと願う世界を、別のフィールドで実現しているのが鯉枝師なのだ。
コントと違って落語の場合、噺家自身が世界を規定することが許される。こういう世界だという定義に逆らわない人であれば、誰でも楽しめる。
この日の鯉八ファンの年配女性たちは、鯉枝落語にも感性が近いようで、かなりウケていた。

英語の先生の名前「大西洋士」は、同時に真打になった弟弟子、鯉太師の本名である。ちなみに「実践自動車教習所」にも登場する。
ちなみに鯉枝師の本名は「渡利哲也」という、すごいもの。後の出番の鯉朝師の噺には、「わたりさんのご主人」が出てきていた。

10年振りに鯉枝師を聴き、連雀亭に入れなくて本当によかったと思う。
鯉枝師、これからどんどん活躍してくださることでしょう。
ブランクが大きいから、トリを取るまでは5年以上は掛かりそうだが。
まず広小路亭のトリが取れますように。行きます。

それにしても。
このブログも、落語以外の芸に関するネタが最近増えてきた。もともと好きだから。もうすぐM-1もあるし。
私は演芸が広く好きで、そしてお笑い界から転身してきて頑張っている噺家も好きだ。
だが、鯉枝師や鯉八師のような、お笑いのフィールドで闘えるすごい落語を作れる人は、転身組の中には実はひとりもいない。
落語界で純粋培養されてきた人の中にこそ、既存の落語とひと味違う道を歩む革新派がいる事実。そもそもパイオニアの円丈師がそうだ。
これは、落語という芸能を考えるうえで、とても興味深いことではないでしょうか。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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