三遊亭円楽「寄合酒」(上)

笑点メンバーを褒めると馬鹿にされる風潮は、落語ファンからはまだなくなっていないと思う。
私が子供の頃から視ていた笑点は、笑点嫌いのファンが気づかないうち、落語界の中心の存在になっている。
そう捉えている私だが、メンバーひとりひとりの、本業に対する好き嫌いには差がある。
三遊亭円楽師の落語は、あいにくなかなか好きになってこない。
亀戸梅屋敷寄席は、もともと円楽師に話が持ち込まれたものらしいのだが、ここで円楽師を一度も聴いていない。好楽師は聴きにいくけど。
だがいっぽうで、円楽師に対する敬意はしっかりある。
まず、博多・天神落語まつりのプロデューサーとしての師に対して。すでに小朝師が落語プロデュースの一線から退いた現在、第一人者は円楽師。この人なくして東西混合の落語フェスティバルなどできないだろう。
さらに円楽師、弟子の育成も上手い。コロナ禍の気の毒な昇進であった楽大師をはじめとして。
だから、もっと好きになりたい師匠なのだ。

師の落語の欠点は、笑点で作ったインテリキャラに心身を乗っ取られていることだろう。
小遊三師が色男キャラに、好楽師が貧乏キャラに乗っ取られていたとしても、別段マイナス点はない。
円楽師の落語についていうなら、笑点メリットは薄いように思う。「やかんの先生」がインテリぶっちゃいけない。
師に知性が欠落しているなんて言いたいのではない。落語も笑点も、もっと自然にやればいいのになと思うのである。
それでも、人情噺はいい師匠だという見立ても、いつごろか出てきた。そこで当ブログ、師の「一文笛」を取り上げたりしている。
人情噺の評価があれば悪いことはないけど、やはり滑稽噺でアッと言わせていただきたいものだが。

そんなときに、浅草お茶の間寄席(いつもお世話になってます)で聴いた師の「寄合酒」は非常によかった。
格別に目立つ部分があっていいというのではないのだが、今まで師の滑稽噺を聴いてなにかしら引っ掛かっていた、そんな点が綺麗に一掃されていた。
結局、普通にやれることが一番偉いのだなと、そう感じた次第。
この一席を機に、現在古稀の師の落語の評価が、今後ガラっと変わりそうな気すらするのである。
きっかけはやはり、芸協入りに求めたいですな。芸協の寄席で揉まれて角が取れたのだと、そう思う。

円楽師の落語について、イメージの変わったこの一席を、軽くですが取り上げます。
寄席には、寄席でだけ聴く演目というものがある。実に軽い、つなぎに最適の演目が。
寄席に通わずCDでひたすら噺を聴くのが悪い趣味とは思っていないのだが、そうしたファンが出逢わない演目がある。
寄合酒もそんな一品。短いから、演芸図鑑あたりではちょくちょく出ているように思うが、本来テレビラジオ向けでもない。
円楽師はテレビに出ると、「寄合酒」と「町内の若い衆」という印象がある。どちらも寄席らしい、軽い演目。

どうやら、9月中席・夜の収録らしい。ねづっちの後の出番。
この日は、確認できただけでねづっち、笑遊、歌春、太福、陽・昇、小文治、楽輔とまとめて収録されている模様である。トリは歌蔵師。
高座前には円楽師、歌春師の娘さんである田代沙織さんのインタビューも受けて、博多・天神落語まつりのことを話していた。
テレビで流れるとはいえ、寄席の流れを考えるなら、仲入りまでまだ演者が続くわりと早い出番に過ぎない。そしてコロナ禍の夜席の客は薄い。
そんな席で演者がやるのは、しっかり次につなぐこと。ねづっちが客を盛り上げた後で、つなぎだが本格派の噺を聴かせること。
こういう噺家の仕事をちゃんと捉えられるファンがもっと増えて欲しいものだ。いや、通ぶっていても、出番における演者の仕事がまったくわからない人は無数にいる。

マクラは、小遊三師が新しい言葉「濃厚接触」に喜んでいたという話。
酒の飲み方を軽く振って、寄合酒に。
寄合酒はもともと上方の演目らしいのだが、極めて東京落語っぽい噺。無名の若い衆が、個性を描かれたり描かれなかったりしながら進む。
そしてストーリーより、適度なクスグリに価値がある。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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