女流落語に限界はあるか?

今日はお休みさせていただくつもりだったのですが、出かけてきたので撮って出しにしようと。
だが、聴いたばかりの女流落語家のことが気になり、独立してこれを語ることにする。
NHK新人落語大賞に3人の女流が出て、それぞれに感心したばかりでもあり、ちょうどいい。

初めて聴いた、女流二ツ目さんのことだ。名前は出さないでおこう。
啖呵の多い古典落語を掛けた。演題も出すと生々しいので、のちに載せる可能性もあるが今日のところはやめておく。
キャリアの浅い二ツ目の噺家を聴くと、心底下手だなと嘆息する人がたまにいる。
もちろん、いて当然。みんなが上手いわけはない。
今日聴いた人は、そういった、単に未熟な人とは違って、実力は感じる。この二ツ目さんを「上手ねえ」と褒めるおばさん客もいただろう。それを否定する気はない。
(ちなみに、なぜおばさんに限定する? ここにも、私のある種の偏見がひとつ隠されている。その自覚ぐらいはあるにしても)

そんなに昔ではないひと昔前、「女性は落語は向いていない。講談なら合っている」などという無責任な論評が溢れていた時代があったように思う。
実際は、当時女流講談師が増えて、徐々に世間が慣れてきたという、そんな関係性が存在しただけだった気がする。
現代の落語界では、柳亭こみち師など見事な女流が増えたから、「女性は講談に行け」なんて言ったら笑われる。
「女性は落語に向いていない」という価値観は、ひと昔前のものに過ぎなかったわけで、滅びたわけだ。多くのジャンルでそうであるのと同様。
ただ女流落語が、落語界の隅々にまでその勢力を広げているかというと、まだまだそんなことはない。
こみち師もそうだが、女流はまだまだ、未知の領域を開拓し、そこで輝くという宿命を負っているのだ。新作落語しかり。
女流は普通に古典落語をやってはいけないのか?
いけなくはない。やってみないと、手を出さないほうがいい分野もそもそもわからないし。
手を出した領域はモノにならなくても、なにかしら役に立つかもしれない。

でも最終的には、客が受け入れるかどうかだ。
この人がやった、啖呵を言い合う古典落語、私は受け入れられなかった。違和感極大。
なんだかオチケンの人が、慣れない言葉を一生懸命使っているような感じを受けた。地方出身の人ではないといえ、日ごろから啖呵を切ってるわけじゃないから、当たり前でもあるのだ。
地方出身者でも啖呵のやたらカッコいい人がいる。代表例が、小辰さんの師匠である、入船亭扇辰師。出身は新潟の長岡。
だから結局、啖呵が似合うかどうかは、訓練と演者の了見次第なのだ。ここまでは認識している。

ところで、男の噺家の啖呵が中途半端だとしても、「下手だね」でおしまいだ。
今回、もう少し複雑な感想を受けたのである。「なんでこの人、こんな分野に手を出してるんだろう」という。
これは、私の偏見に基づくものなのだろうか?
偏見はないほうがいい。人の書いたものから、本人が意識しないような偏見・性差別がにじみ出てくるのを見るのは愉快ではない。
「女性は落語に向かない」も、一時代の立派な偏見に過ぎなかった。どんどん捨てていこう。
とはいえ、私も偏見ゼロとは到底いえないだろう。
だから、啖呵が気に食わないとしても、それに対し「女性なのにな」と感じてしまったことに、聴き手として反省すべき点はある。

実際、女性であっても、なんとかなるものだと思う。ここまでも、認識はしている。
噺家から例を挙げるのが非常に難しいが、私が聴いていないだけで、三遊亭歌る多師や、桂右團治師はきっと啖呵が上手いと思う。
もう少し簡単に想像できる例もある。三味線漫談の立花家橘之助師匠が歯切れよく啖呵を切ったら、これはしびれてしまうだろう。
そういう人も少ないながらいる点で、今日初めて聴いたこの女流落語家が、そうなれるのかが問題。
向き不向きの問題以前に、なれたら、貴重な領域の勝ち組になれて大成功だ。
だが、悪いがたぶんそこまでは無理だと思う。
まだ二ツ目に成り立てとはいえ、この時点においてこの程度では、すでに間に合わない気がする。
二ツ目時代に名を売るには、10年掛けてはいられない。あと3年ぐらいで「啖呵で聴かせる女流噺家」になれるとは、到底思えない。

神田伯山先生が一躍ブームになったのは、女流講談を楽しみつつも、なにか物足りないなと思う、そのファンの思いがたぎっていたことに一因があるはず。
女流はダメだなんて言いたいわけではない。私自身は、ヤクザな伯山先生より、華やかな女流講談を好むぐらいだし。
女流が激しい講談をやっていけないこともない。
伯山先生の姉弟子、鯉栄先生は、女のハンディを失くそうと、性転換することを師匠に相談したという。
これはさすがにトンチキにもほどのある了見であり、性同一性障害でない限りはそんなことをしてはいけない。したところで、初のトランスジェンダー講談師という称号しかもらえない。

だから女性は、「啖呵で勝負なんてやめたほうがいい」のか。
線の細い男の噺家に対しては、ファンがそう言っても許されると思う。自分のニンを活かしたほうがいいよと。
だが、線の細い女性にそう言うのは、非常にためらわれる。
本人の周りにいるプロたちも、きっとそうなんだろう。
もちろん、ご本人に他の持ち味もあるのだろう。今日遭遇したのが、もっとも合わない領域であったのだとは思う。

というわけで今日は悩みつつ終わります。
自分の偏見を完全にリセットして語るのも、意外と難しいことだ。

作成者: でっち定吉

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