新宿末広亭2 その3(桂ひな太郎「たいこ腹」)

そして桂ひな太郎師。その高座、実は初めて。
主任も取っている師匠だがもっぱら鈴本だし、お見掛けしたことがなかった。
元・古今亭志ん上であり、師匠志ん朝の病没時にいったん廃業し、1年後に再デビューしたというのは知っている。
現・志ん陽師まで志ん朝の弟子が入ってこなかったので、志ん上師は真打になっても師匠の世話をしていたという。それも完璧に。
wikipediaでは、廃業直後に師匠が亡くなったとある。いっぽう落語協会の公式では、師匠没により移籍したとある。
互いに矛盾することが書いてあるが、まあ、いろいろあるのだろう。

ひな太郎師の本編はたいこ腹だが、「主体性はないが協調性に富む」幇間のマクラなど入らない。末広亭ならでは。
この、気負わず掛けた「たいこ腹」に、私は落語観がゆすぶられるほどの激しい衝撃を受けたのであります。

たいこ腹という噺、クスグリを入れやすいので噺家さんにも人気。
外の世界からおバカさんたちのドタバタを観察していると、ツッコミどころが無数に見つかり、いじり甲斐があるのだと思う。
小遊三師であるとか喬太郎師であるとか、私の頭のメモリには、ギャグで埋め尽くされたたいこ腹が数多く収納されている。
最近では、来秋真打昇進の柳家小んぶさんのものがやたら面白かったが、これもまたギャグの塊。現代ギャグではない、古典落語に昔から入っていそうな新クスグリにいたく感動したのだ。
だが、まったく違う道を行くひな太郎師。
本当に、噺本来に内在するクスグリしか使わない。なにが「本来」なのかはさておいて。
実はたいこ腹の原型など、私は何も知らないことに気づく。ひな太郎師はむしろ、教わったクスグリを削ってすらいそうに思う。
手を掛けてまでバリを丁寧に削り取った、むきだしのたいこ腹。
「鼻から息するもんでは試したんですか」と訊くのは私も大好きなクスグリだが、ひな太郎師は、「鼻から」すら取ってしまう。

その、徹底してクスグリを抜いたたいこ腹はスカスカ? これがたまらなく面白い。
「どこにも引っ掛からないが妙に面白い」という落語も存在する。そういうのとは違う。もっとストレートに、たまらなく面白い。
若旦那と一八のやりとり自体面白いため、クスグリを削っても残るものがある。演者に存在するものは、ツッコミたい誘惑に駆られない、鉄の意思。
落語の演者たるもの、世界を俯瞰して眺める視点は絶対に必要なはず。だがひな太郎師は、たいこ腹の世界の面白さを知り尽くしているがゆえに、俯瞰することをあえて避ける。
登場人物ふたりの視点にとどまるのである。残ったのは、「ただひたすら鍼を打ちたい若旦那」と「プロとして付き合わなきゃならない幇間」の視点だけ。
遠巻きに眺め、世界にツッコミを入れるのは客の仕事だ。そんなわけあるかと、客観的な立場で楽しむのは客に任せるのだ。

多くのギャグたっぷりたいこ腹で描かれるキャラ付けは、「若旦那=サディスト」「幇間の一八=主体性のない男」。
本当にそうだというのではなく、そういうギャグにするとスムーズになる。
でも本当にそれは正解か?
息してるもんに鍼を打ってみたい若旦那の内心なんて、詳細にわかる必要など、ハナからないのでは。
それよりも、事実として存在する困った若旦那と、本当に困っている幇間、そういうシチュエーション自体が実はいちばん面白いのだ。

こういう技法は、しばしば人間国宝、柳家小三治により語られる。落語は面白いんだから笑わせなくていいのだと。
だが、小三治御大の落語からはしばしば、違う雑音が聞こえてきて仕方ない。
小三治の哲学を、実際に表しているのはたいてい別の演者である。桂ひな太郎師、まさに笑わせなくていい落語にふさわしい。
だが、さらにもう一段違うことを考える。
ひな太郎師はむしろ、「積極的に笑わせる」ためにギャグを徹底的に引き算しているのだという気がしてならない。古典落語の生命に頼ることが、自らの持ち味をもっとも活かす方法なのだと。

ちなみに徹底してクスグリを抜くため、ごく少ないクスグリが記憶に残る。
一八の語る、若旦那のゴルフ。
グリーン上、釘抜きの親玉でもってパットを打つ若旦那。グリーンの中央には穴が開いているからつい落ちてしまうのだが、若旦那は見事な腕で、穴に落ちそうで落とさないんだと。

いや、引き算のすばらしい美学を味わった。
こうした落語は、新作落語の対極に位置付けられるものだと思う。
振り切った新作落語から、その対極まですべてを楽しめる自分自身が誇らしかったりして。

いざ鍼を打たれる場面になって初めて羽織を脱ぐひな太郎師。
それ自体は珍しいことでもないが、この一席においてはとりわけ脳裏に焼き付くシーンだった。

続きます。
よいお年を。2021年もでっち定吉らくご日常&非日常をよろしくお願いいたします。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。