新宿末広亭2 その6(入船亭扇辰「徂徠豆腐」)

ヒザの仙三郎社中は、仙志郎・仙成のふたり。寄席の吉右衛門、仙三郎師匠は不在。
息子を含めた弟子ふたりで務めることだって珍しくはないが、仙三郎師はがんで闘病中なのだな。後で知ったのだが。
それで落語協会の理事も降りたようだ。
時間がごく短いためもあるが、アクセントのない舞台だった印象。
仙成さん、一か所失敗したが釈明しないまま。

長丁場も、いよいよトリの扇辰師。
出囃子の、太鼓の音がやたらでかい。ははあと思う。気づいた客も結構いて、笑っている。
文蔵師のいたずらに違いない。
文蔵師は、扇辰師のヒザ前を務めるときは高い確率でこういうことをする。

登場して扇辰師、楽屋を振り返りながら。
文蔵師匠が太鼓を叩いてくれてるんですけども、うるせえよ。そして文蔵師に、もう帰れよと。

楽屋はコロナ禍で、湯飲みも使いまわさないようになった。今はなんと紙コップですよと袂から取り出す扇辰師。
これに黄色い液体を注いで飲ませるんだと。目盛りが入ってなくてよかったよ。
ああ、先月も鈴本で同じネタを聴いたなと。忘れていたのでなんだか嬉しい。

この千秋楽の演目は事前に予想していた。この芝居では、「徂徠豆腐」「二番煎じ」「火事息子」などが残っている。
季節的にはどれもありそうだ。雪国育ちの扇辰師には、真冬がとても似合う。
ツイッターには「芝浜」なんて予想も上がっていたが、別に扇辰師の得意な演目でもないのでは。扇辰師の人情噺は、涙のないところ、客に感情を押し付けないところが特徴だと思う。
火事息子は聴いたことがないからわからないのだが、むしろ笑いを入れてくるのではないか。
寄席を休んだ前日の一門会では、鰍沢を出したそうで。

私はできれば未聴の二番煎じが聴きたかった。
寒い朝の豆腐売りが出てきて、徂徠豆腐。
徂徠豆腐が嫌なわけではないが、昨年聴いた演目だ。
ちなみに、群馬の太田まで出かけて聴いたのであった。
徂徠豆腐、その後昨年末も柳家蝠丸師で聴いたし、つい先日も柳家花いちさんから聴いた。
珍品だと思っていたが、私の中では結構メジャーな噺になってしまった。夏の「臆病源兵衛」とどっこいだ。
涙・笑いといったわかりやすさに頼るのではなく、「いい話」そのものを語り込む扇辰師にはぴったりの演目。

門人が来ないので日々空腹を抱えつつ、世に出る日を辛抱してじっと待つ荻生徂徠と、それを支援する豆腐屋の上総屋。
徂徠は1日1食、ツケで食う豆腐だけが生命線である。上総屋にその命が託されているわけだ。
一介の豆腐屋にこんな責任が負わされるいわれはない。だが、徂徠の人間性に惚れて支援を決意する。
上総屋はいちいち恩を着せたりしないし、徂徠が世に出る日を今か今かと待ち構えているわけでもない。ただ、自分にできることを黙々と日々こなすだけ。

11月の寒い朝、冷たい水の中から豆腐を取り出すシーンは、太田で聴いた際は極めてたっぷりやっていたのだが、東京であるし寄席でもあるので、わりとあっさり。
徂徠が上総屋の目の前で、最後の醤油を振りかけてかぶりつくというシーンは、前回聴いたときにはなかった気がする。
今回加えたとするのなら、最後の門人が出ていったなど、不測の事態が徂徠に生じたことを強調したかったのだろう。

前月、鈴本のトリで聴いた「甲府い」もそうだが、扇辰師は実に企まない人である。
企まない登場人物から、とてつもないカッコよさがにじみ出てくる。
だが扇辰師の落語の人物には、カッコよさと裏腹の「欠落」が常に見え隠れする。少しずつ欠落した部分が、ふとした関係性により相互に埋め合わされる。これが扇辰師の魅力の源泉だと思うのだ。
上総屋も、誰に頼まれたのでもない支援について、かみさんにも話さないでいた欠落がある。しばし寝込んだ後で先生を死なせてしまったと後悔するぐらいなら、ちゃんとバックアップ体制が必要だったのに。
でも、そんな企まない人物にこそ、災いの後の福が来る。

よく聴くようになった徂徠豆腐だが、おかみさんに袖を引かれてすっころぶのは扇辰師のものだけ。
かみさんはがんもどきもつけておけばよかったと言うが、上総屋にはそんな欲はもとよりない。だからこそ、徂徠豆腐が名物になる。
人情噺であるが、実に楽しい一席。

外に出ると、外観を撮影する人がとても多い。寄席も都内に複数あるが、客が写真撮りたくなるのはここだけだろう。
末広亭の近所は、仕事納めのサラリーマンで盛況でした。いい悪いはさておき。
一年の締めくくりにふさわしい、いい寄席でした。

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作成者: でっち定吉

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