落語協会の噺家ふたりがコロナ陽性で、落語協会の寄席がすべて中止。
鈴々舎馬風、桃月庵白酒のふたり。前座3人と同じく、鈴本で感染したようである。
新宿末広亭は1日だけ休み、消毒して21日から早速芸協の寄席を再開。たくましいものである。
なんとしてでも寄席を開催する意欲は見上げたものだが、これだけ噺家にコロナが出ると、さすがに行きづらい。
芸協の告知は、今回に限ってはなんだか他人事で印象悪い。
名の売れた師匠たちが感染したのは大ニュースだが、これだけでは1日の記事にならない。
テレビのネタに戻ります。
昨日、ナレーションの「ブンジ」のアクセントに苦言を呈したところであるが、もうひとつあった。
「四代目桂塩鯛」を「よんだいめ」と発声。
これはまあ、ちょっと痛い落語ファンに映りそうでイヤなのだが。間違っている以上仕方ない。
寿司屋の四代目を「よだいめ」という人はまずいない以上、制作側の耳に入れても知るかと言われそうではあるが。番組に、わかっている人がいるかいないかという目安にはなる。
もっとも、噺家だったら正しく読めるかというとそうでもない。
三遊亭圓歌襲名披露で、林家木久扇師も、司会の多歌介師も「よんだいめ」って言ってたのだ。歌武蔵師に訂正されてたっけ。
春團治は四代目になったが、なんと呼ばれてるだろう。もし、上方の関係者がこぞってヨンダイメと言っているなら、私はもう何も言わない。
東西に落語がある以上、絶対的な正誤というものがないことはわかっておかねば。
仲入り休憩の前の出番を、上方では「中トリ」という。
東では言わないが、では東京の寄席で仲入り前に出る人を中トリと呼んではいけないか? 私は使わないが、間違いとも言いづらい。
もっとも、上方の場合はトリと中トリとが並んで紹介されている例をよく見かけるので、単純ではない。
ちなみに、東京で「仲入り」を「中入り」と書くのは構わない。仲のほうが縁起がいいが。
第1回の放映でちょっと思い出したことがある。
たま師の「時うどん」のサゲでもって、「3文損しよった」。家内がこれを聴いて、「こんなセリフ、時そばで聴いたことがない」。
確かに、時そばで「3文損しました」とセリフを入れたら、非常に味消しである。ヤボになっちゃう。
上方落語につき、東京落語と比べて優劣を付けようというのではない。他人がそうするのも嫌だし。
だが、私の美意識からすると、やっぱり「3文損しよった」は不要だと思う。
上方のほうが、「わかりやすさ」を求める傾向があるのは否めない。
「蛇含草」でサゲを割ってしまうのも、この現れだと思う。東京のそば清は、サゲを割らないのが増えてきた。
上方落語全体は嫌いではないが、桂枝雀は好きでない。
枝雀の嫌いな部分として、すぐに2本指が折れる。
- 「くっしゃみ講釈」で、清八をなぶったあとの喜六の独り言として、「(胡椒を買いにいくことぐらい)わかっとるちゅうねん」
- 「つる」で、甚兵衛さんの鶴の由来について嘘だとわかったうえで他人に話しにいく
このふたつは、もう本当に嫌い。ちなみに後者は、東京にも流れ込んでいる。
なんでこんなことを解説し、客にわからせる必要があるのだろう。
「3文損しよった」にも、同じにおいがするのだが。伝統だからといって無批判に加えるべきものでもない気がする。
枝雀嫌いのヤツが上方落語を語るなって? それ以前に、小三治嫌いでありながら東京落語を語ってるけど。
脱線が多くすみません。本当に第2回に戻ります。
貧乏花見は、長屋の花見に対して「大家がいなくて住民が平等なところに上方らしさがある」なんてよく解説される気がする。したり顔で。
確かに、東京は縦の人間関係が多いのは事実。長屋の花見にパワハラをイメージする人だって中にはいるだろう。
私はこうは思わない。文治師も語っていたが、大家も趣向(シャレ)をしてみたかっただけなのだろう。「酔え」とか命じられてるほうだって、意外と楽しんでいるのだ。
塩鯛師、「貧乏花見を得意にしている上方の噺家はいない」なんて言ってた。調べたら、桂雀三郎師や笑福亭松喬師が掛けるようだが。
松喬師のは一度借りたDVDで聴いたはず。
元は同じ噺とはいえ、長屋の花見は他にも東京らしさがある。ワイガヤ噺なのである。
ワイワイガヤガヤやっている衆、いずれも楽しさいっぱいなのだが、そこに明確な個性はない。誰が口を開いていても、全体に影響がないのだ。
次の第3回で出る酢豆腐とか、寄合酒とか、ん廻しとか、みんなそう。
それに比べると、上方は登場人物の個性が強い。実際には、東京と同じく誰が喋っていたっていいというのは一緒なのだが、でも個性を描き分けたうえでそうなっているような錯覚を起こすではないですか。