BS朝日「御法度落語おなじはなし寄席!」から その4

文治師の「長屋の花見」はすばらしいデキ。
収録は冬で、季節外れの演目だから、おろす前に稽古が必要。なので寄席で掛けてきたそうで。居合わせた客もびっくりしたろうな。
もともと達者な人で、だからこそ数ある先代の弟子の中で文治を名乗っているのであるが、年々上手くなっている。
どこが明確に上手いというより、引っ掛かる部分が年々消えている気がする。そしてリズムのすばらしい高座が完成。
ガラガラでちっともいい声ではないが、実に味がある。そして声の大小のメリハリが絶妙。
セリフの「間」を褒めるのは、あまりにも漠然としていて好きではない。だが文治師についていうと、クスグリにおけるウケどころ(ボケの場合も、ツッコミの場合もある)のあとの絶妙な間がたまらない。
客が笑っている(具体的な笑い声だけでなく、内心の話)最中に次のセリフに入る際は、実におだやかであり、客の心中の笑いを邪魔しない。
だから、繰り返し聴ける。5回ぐらい聴いたかな。

オリジナルのクスグリは「まずーい、もう一杯」ぐらい。
普通に掛けているのに、普通とちょっと違って聴こえるところが、この師匠の類まれなる個性。

塩鯛師は、私はあまり聴いたことがない。巡り合わせだと思うので、たぶん近日中にラジオから流れてきそう。本来、米朝事務所の人はラジオによく登場する。
文治師の長屋の花見に、「夜逃げだ夜逃げだ」「お茶け」などの共通するクスグリが入っているのに、塩鯛師、一切頓着しないからすごい。
そして実際に、寄席で思わぬ部分がツいてしまったときのような、変な感じにならないのである。
結局、違う芸なのだから、少々ツいてもどうということがないらしい。とはいえ、嘘みたいだ。
こちらも文治師と同じだけ聴いた。繰り返しに耐える見事な芸。

長屋の花見は、大家のシャレに店子がつきあう噺。
それに対し、貧乏花見は、集団でシャレを実行しようという噺である。つまり、集団催眠ごっこ。
大家が出るか出ないかでなく、反対派を遊びに混ぜているかいないかが、最大の違いと思う。
実際、貧乏花見には繰り返し「気で気を養う」というありがたい言葉が登場する。

東西の落語は独自の発展を遂げてきたが、中には、その異なる発展を再び取り入れることもある。
その意味で、「貧乏花見」を改めて東京に持ってきても楽しそうだなと。
ただ、その場合に不可欠な要素に気づいた。
楽しくボケ倒している貧乏長屋の衆を描くのは、東京でも問題ない。ワイガヤの噺は多数ある。
だが、東京落語にとっては、不可欠な視点がある。全体に対して「バカだねえ」という、ツッコむ視線。
ツッコミなんて、上方にふさわしい要素な気がするが、むしろ東京のほうがまっとうな視線に基づくツッコミを求めている。貧乏花見の場合、基本的にボケっぱなしなのでそこが難しそう。

昨日も書いたが、「貧乏花見は大家が出ないので民主的だ」なんて見立てがある。もっとも、長屋で一番の顔なのであろう、アニイが大家の役割を果たしているので、これについては驚くほど構造が変わるわけではない。
ただし、全体的に下品。
上方落語家はよく、東京と比べた下品自慢(?)をする印象がある。自慢というか、誇りなのだろう。
ただ、本当にそうかなと私はいつも疑問に思う。しょっちゅう「家見舞」の掛かる東京の寄席のほうが、下品かもしれないと。
とはいえ特に下品がテーマでない噺の中に、品のないエピソードが登場するのは上方落語らしい。
この貧乏花見でも、「全身に墨を塗って洋服にした男」「風呂敷を下半身に巻いた女」「腰巻を幕にして吊るす」など、下品なエピソードに事欠かない。
腰巻を、手ぬぐいを使って顔に掛ける仕草はたまりませんな。

アフタートークでも、塩鯛師は自虐爆発。
一度自宅で繰ってみて、ストップウォッチで測ってみたが、今日やったら全然違ったそうで。
特にムダがあったわけではないのに不思議だが、こういう人もいるのだ。

上手いこと、第3回につながりました。時間は遅れるかもしれませんが、明日出します。
続きます。

 

作成者: でっち定吉

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