楽しい番組は、私の落語脳のさまざまな分野を刺激してくれる。
おかげさまで、毎日のアクセスも好調です。長い連載だと、だんだん尻すぼみになるのだけど、今回はそうでもない。
番組を視た人が、さらなる刺激を求めて来てくださっているようだ。
第3回は、ちりとてちん。
古今亭菊之丞師の「酢豆腐」と、桂あやめ師の改作「ちりとてちん」。
まずはひと安心。
過去に厳しく批判した新作ちりとてちんが、あやめ師となんの関係もなかったことを確認。というか、あやめ師のこの改作はラジオでだったろうか、聴いたことがあったのを思い出した。
それにしても見事な作り。古典落語のエッセンスだけ引いてきて、全体を作り替えるのが得意な人も落語界にはいるのである。
改作したちりとてちんを、東西比較にぶつける制作側のセンスに脱帽。
上方のちりとてちんはこういう噺だと思われる? そうだとして、そんなに勘違いでもない気がする。
東京では現在、柳亭こみち師が高い人気を集めている。
こみち師も取り組んでいるが、既存の噺を女流目線で作り変えてみる、そうした路線の先達があやめ師。
既存の落語は男目線で作られているから、女流がそのままやってもウケないとされている。
これについては、「そうでもない」場合も、「まったくその通り」という場合もある。結局は、人によるとしか。
立川こはるさんなんかは前者。菊之丞師の弟子のまめ菊さんなども、一度聴いただけだが違和感なく実に上手かった。まだ前座だが。
いっぽうで、驚くほどずっこけることもある。先日も女流の二ツ目さんが「三方一両損」にチャレンジしていたのに出くわしたが、線の細いこの人の啖呵は、実に嘘っぽかった。
「女性は教わった通りにやっちゃいけない」なんて差別的なことを言いたいわけではない。だが結局、客の気持ちに沿わない落語に価値はなかろう。
改作したらよくなるのかというと、これも結局、その人次第。演じるほうがひとりで楽しんでいても意味がない。
成功しているとはいえない女流を念頭に置くと、あやめ師はやはりすごい。
ひとりの演者に、創作と実演と、両方の才能が溢れている。まあ、いい噺家はみんなそうなのだが。
女の登場人物を増やしたこのちりとてちんを、今度は、女が上手い男の噺家である菊之丞師が掛けたら実に面白そうだ。
番組公式ツイッターには書いてあったが、番組本編では「ちりとてちん」の出自についてはカットされていた。
ちりとてちんは、東京の落語(酢豆腐)が上方に入って改作されたもの。
現代では、東京の落語が上方に入るのは普通であるが、昔では稀有な例。東京の落語の8割は上方由来とされるが、逆はレアなのだ。
さらに上方で発展したちりとてちん、再度東京に入ってきた。そして初夏から中秋まで、東京の寄席でもちりとてちんが実によく掛かる。
いっぽう、原典の酢豆腐はそんなに掛からない。これは菊之丞師が語っていたとおり。
古今亭の人以外はあまりやらないようだ。
だが、古今亭ではなく桂小文治師から最近聴けた。スタイルは大きく違っていたが、これは実によかった。
なかなか聴けない酢豆腐を私が好きなのは、やはり志ん朝からであったろうか。
楽しく遊んでいる江戸っ子たちの粋な噺である。
江戸落語はだいたいそうだし、先に出た長屋の花見もそうだったが、酢豆腐もワイガヤの噺。ワイワイガヤガヤやっている若い衆たちの個性は描かれない。
だがいっぽうで、個性の強い江戸っ子も勢ぞろい。
まず建具屋の半公。たてはん。小間物屋のみい坊に岡惚れしている、おっちょこちょい。
「汲み立て」ではいい役回りだが、主役を張る蛙茶番では、馬鹿の極み。
この酢豆腐では調子に乗って古漬けをぬか床から取り出す羽目になり、現金で示談してもらう。
そして、主役でも脇役でもよく出てくるのが与太郎。与太郎なりに知恵を使い、豆腐を見事に腐らせる。
酢豆腐の若旦那は、落語の中でも珍しい、実に貴重なキャラクター。
このキザな若旦那、「羽織の遊び」「五人廻し」にも出てくるのだが、どちらもメジャーな噺でもない。貴重な若旦那がやりたいので酢豆腐を掛けるという人もいて欲しいのだ。
若旦那はキザで嫌がられているが、若い衆たちが復讐する必要があるほど憎い相手でもない。そこをわきまえておくと、この旦那に、吉原に連れていってもらう羽織の遊びなんてスムーズに聴ける。
酢豆腐は、決していじめの噺ではない。
若旦那を町内の仲間に加える、通過儀礼の噺だと私は理解している。
菊之丞師とあやめ師の見事な本編については明日に。
続きます。