先日、お騒がせの貴乃花親子について、古典落語「六尺棒」に絡めてイジってみた。
若旦那・優一はこれからもフラフラ生きていくだろうと書いたのだが、なんだか風向きが変わってきた。親父の逆襲である。
親父が若旦那の嘘を徹底的に暴いたことで、息子のほうはなすすべもないようである。
こうなるとフラフラは生きていけないかも。バラエティ番組も呼びづらいし。
明るく楽しい六尺棒でなくて、唐茄子屋政談みたいなことになってきた。
まあ、親父も無傷ではいられない。無傷でいられないことをわかっていても、徹底的に敵を潰すのが今までの親父のやり方。
勘当という言葉には、それぐらいの重みはあったようだ。
そういえば、一斉に「勘当した!」と同じギャグをつぶやいていた世間であるが、つぶやいた中に立川雲水もいた。
とっておきのギャグだったのだろうな。これで笑点メンバーより気の利いたことが言えると自分では思ってるんだから、おめでたい。
さて、貴乃花親子や雲水のことは忘れ去って、相撲噺について書いてみようと思う。
落語も相撲も古典芸能。古いしきたりを濃厚に残す世界だという共通点がある。
昔から、相撲の話題は落語において繰り返し使われているのである。
本当に、相撲の世界から落語のほうにやってきたのが三遊亭歌武蔵師。支度部屋外伝でおなじみ。
実はもうひとり、林家源平師も相撲あがりなのだが、別にネタにはしていない。
私自身は、相撲にはとうに関心を失くしている。相撲界のことは、ナイツを通してしかインプットしない。
ラジオでナイツ塙の相撲談義を聴くのは大好き。
相撲も二度ほど観には行きましたがね。今では、両国といえば私にとってはお江戸両国亭。あるいは江戸東京博物館でやる落語会。
それはそうと、相撲噺は面白い。
相撲の噺にはこんなのがある。
- 花筏
- 大安売り
- 阿武松
- 稲川
- 佐野山
- 半分垢
- こり相撲
- 鍬潟
- 小田原相撲
- 一人相撲
最後のは、立川吉笑さんの新作落語。
大坂の商家の旦那のために、江戸の相撲の模様を奉公人が東海道を走ってきて伝えるという、呑気な落語。
聴いたときは知らなかったのだが、これ、実在の大名のエピソードに元ネタがある。さすが吉笑さん、インテリ。
あとは相撲噺ではないが、「宿屋仇」「蜘蛛駕籠」には相撲の模様がちょっと出てくる。どちらにも、坊主から還俗して相撲取りになった「捨衣」という洒落た四股名の力士が登場する。
いちばんよく聴くのは小ネタの「大安売り」だろうか。寄席で出ると、とてもいい箸休めになる。
「向うが勝ったり、わしが負けたり」の、非常に弱い力士の楽しい噺。演者がとても工夫しやすいのもいい。
大ネタでは「花筏」は非常に人気のある噺。なにしろ、「スポーツに興味がない」と宣言している柳家喬太郎師が持ちネタにしているぐらい。
しかも、先輩の春風亭昇太師に教えたという。もともと新作派の昇太師が、今はすっかり持ちネタにしている。
これ以外は、めったに聴かない。
「半分垢」なんて好きだけどなあ。落語には珍しい、アホなかみさんが大活躍する噺。
とても小さい力士をネタにした「鍬潟」は、先代文枝の録音があるが、もう滅びてしまっただろうか。
ただ、両国を本拠地にする円楽党の寄席では、相撲噺はたびたび掛かる。
現在国技館があるというにとどまらず、両国の回向院は大相撲発祥の地だからである。
ここだけは「相撲噺の取り合い」が存在するようである。
阿武松、稲川、佐野山は相撲人情噺の三大傑作だと思う。
阿武松(おうのまつ)は、飯を食いすぎるためにクビになり、故郷に帰れずに板橋宿で身を投げて死のうとする力士の噺。江戸の四宿のうち、板橋宿が出てくるのはこの噺ぐらいではないだろうか。
最後のおまんまを宿屋で食っているうちに、相撲のパトロンである宿屋の主人に拾ってもらえるのである。
現代実在する阿武松部屋は、先代の元関脇益荒雄が作ったもの。貴乃花が協会でキナくさい動きを見せていたときの仲間のひとり。
あの頃は、世間の多くが「協会はひどい。貴乃花は偉い」と言ってましたな。落語とまったく関係ないけど。
稲川は、大坂から江戸相撲にやって来て連戦連勝、強いが人気のない力士を、魚河岸の若い衆が贔屓にする噺。
若い衆たちは乞食のふりをして稲川に近づくのだが、稲川が快くそばをごちそうになって、テストに合格するのである。
佐野山は、あろうことか八百長の噺。講談のほうでは「谷風の情け相撲」という。
無敵の谷風が、いかにして親孝行の佐野山に勝ちを譲るかという噺。
八百長を正当化する気は別にないが、かつては客が八百長を美談と捉える土壌があったのだ。
相撲も、伝統芸能とスポーツとの間に挟まって、大変なことではある。
吉笑さんの「一人相撲」以外の新作も聴きたいものだ。
格闘技に精通している林家彦いち師が作ってくださらないでしょうか。
それを、腹のでかい喬太郎師が演じるという。