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途中、なんだったか用語の説明をして、「私の落語は芸が細かい。こういうところは三遊亭白鳥にはできません」。
何だか知らないが、常に同郷の先輩をいじる扇辰師。
こうしたフッと入れるギャグも、客を噺に浸り切らせないためだと思うと腑に落ちる。
昔ばなしを論理的に理解するのは野暮だが、先日納得いかない田能久を聴いて以来、「どうして田能久さんはあっさりとうわばみの弱点を村人に教えるのか」が気になって仕方がない。
この点、扇辰師の噺は極めて自然である。真っ青な顔をして山から下りてくる田能久さんを村人が見つけ、心配していろいろ質問するうち、スっと弱点の話になるのである。
率先してうわばみとの約束を破るわけじゃないのだ。
そして田能久さんが、「カネが大嫌い」だという話も、劇中で初めて登場する。
昔ばなしでもカッコいい扇辰アニイでした。
仲入り後は古今亭志ん五師。主任に合わせて新作での顔付けのようだ。
オレンジの羽織を着てくるところをみると、3年前に池袋で聴いた「出目金」らしいなと。その通りであった。
忘れていたのだが、その芝居も彦いち師が主任で、志ん五師はクイツキだった。
楽屋では、「失礼します」と言って前座さんが体温計を額に当ててくる。
たまに、両手で当ててくる奴がいる。なんか狙ってるのかと思って訊いてみたら、丁寧にと思ってのことらしい。
金魚の描かれた手ぬぐいを使い、子供に頼まれていた金魚を鉢に移す所作が爆笑。
出目金のくせに目が小さいと子供にdisられた金魚、家出をする。
家出をした金魚を探しに近所を歩く父親。この時点でもう、現実に足を付けた噺でないことがわかる。
川に逃げると、そこには謎の魚がくねくねしながら握ってくれる謎の寿司屋がいる。
南極に行ったり、草津温泉に行ったり大冒険をする出目金。
「草津よいとこ」と歌いだす出目金。「どっこいしょ」「チョイナチョイナ」を唱和させられる客。
私もヤケになって唱和したら志ん五師、「意外と返ってきたな」。
ふざけた、お気楽な噺である。
トリの彦いち師は、扇辰師のアクリル板の話を引く。そして弟弟子のひろ木師の話。
今、楽屋へは直前に来ることになっているので、噺は聴いていない。ひろ木師はもう帰ったところだが、帰り際に二三話をした。
「今後の広島(ひろ木師の地元)の会、無観客になるかもしれません」とひろ木。
なるほど、また配信かと思って訊いてみたら「配信もないらしいです」。
どういうことだよ。広島まで行って、客もいないのに喋るの? またじっくり詳細を聞いておくそうで。
古典落語にも噓つきの噺がありますが、私もウソをついたことがありますと彦いち師。
みどりの窓口で、二度目の乗変をしてもらおうと外国人のフリをする話。
ということは、本編は「神々の唄」である。嘘つきのゲンちゃんの噺。
もう5年前に、書いたことがあるのだが、寄席で聴くのは初めてだ。
ちなみに、昨年abemaTVの配信で出していて、当ブログにも来訪がありました。配信で反響があったのはこれが初めて。
主任の芝居の初日に出してくるのだから、彦いち師の最も得意な噺なのだろう。
聴いたことのない噺のほうが嬉しいのは確かだが、でも自信作を出してくれるのもいい。
結構詰まり気味の部分もあったから、久々なのかもしれない。だが全般的なデキは決して悪いものじゃない。
みどりの窓口のドキュメンタリーマクラは、ムダを省きますます洗練されてきている。
そして自身でも後悔するぐらいの、緩い緩い設定のまま突き進んでしまった、そのスリルが客に沁みてくる。
このマクラ、結局結末がどうなったのかはわからないままなのもいい。
軽い虚言癖の持ち主、しかしその結果として引っ越しを繰り返す羽目になるゲンちゃん。
八幡さまのお祭りに、スーザン・ボイルが呼べると嘘をついてしまい、さらに謝る機会を逸してしまう。
引っ込みがつかなくなり、今日もゲンちゃんの嘘つきが治るように、八幡さまに願を掛け、掃除をしている妻に相談しにいく。
ゲンちゃんの企みは、妻にスーザン・ボイルになってもらうこと。
知っている展開からちょっと進化していた。どうでもよさそうな部分を修正している律義さに感心。
ゲンちゃん、作詞だってできると自作のパクリ詩をかみさんに披露するのだが、その場でスラスラしたためていた。
かつては用意してきていたのだが、そんなことしている時間はないわけである。
サゲに登場する八幡さまの出し方も変わっていた。
ゲンちゃんの嘘は結局、みんなとかみさんと、すべてを幸せにしていく。
極めて落語らしい、無責任かつ楽しい噺。
教訓などどこにもない。いらないけど。
2時間45分の手短な席はあっという間。
実に楽しいひとときでした。
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